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相馬野馬追い 7月25日 +相馬家史跡めぐり

 7月25日、今日は「相馬野馬追」の最後を飾る「野馬懸」です。

 南相馬市小高区(こないだまでは小高町)の相馬小高神社で行なわれる、神馬奉納の儀式です。相馬小高神社は、古く鎌倉時代から室町期にかけて相馬家が居城とした古城址にある神社で、千葉一族・相馬家ゆかりの妙見を祀っています。南北朝時代、南朝の鎮守府将軍・北畠顕家が、惣領代・相馬光胤(関東から東北へ移った相馬重胤の次男)がこの小高城で戦い、相馬一族が多数戦死しました。ただ、六百七十年前の戦いの跡はまったく残っていません。

小高城
 ▲小高城

 9時01分、小高駅着。六百九十年の昔、相馬家が下総から移り住んだ土地です。昨日の夕方から夜にかけての雨がウソっぱちのような晴天です。ジリジリと暑い…いや熱い。。。小高神社まではしばらく歩かなくてはならず、水を買って腕にかけながらの移動です。

 およそ15分で小高神社へ到着。こちらの橋から見える赤い橋は「妙見橋」といい、小高神社の表参道になります。まだ神事が始まるまで時間があるので、相馬家ゆかりの寺址と館跡をめぐることにしました。

 小高神社を左に見て北へ向う坂道を数百メートル行くと、中世相馬氏ゆかりの「金性寺(錦繍寺)」「長命寺」跡があります。今となってはすっかり森になっていますが、かつては小高神社の別当寺として立派な伽藍がありました。その金性寺の南に隣り合っていたのが、「長命寺」です。こちらも相馬家にゆかりの深い寺で、相馬家が下総から持ってきたお寺です。両寺は場所を変え、今でも大きなお寺として残っています。

金性寺址 長命寺址
 ▲金性寺跡           ▲長命寺跡。向こうに見えるのが小高神社裏口。

 その両寺と東西に隣り合っていたのが、相馬家の館(東館)です。今では畑と森になっています。相馬家は小高城を中心に、東西に館を持ち、東館のさらに東には岩迫館を構えていました。まだ神事まで時間があったので、岩迫館、さらに奥にあった歓喜寺の跡へ行くことにしました。

東館 岩迫館
 ▲東館跡            ▲岩迫館跡

 岩迫館をぐるりと東に回って道なりに進むと、やがて行き止まりとなりますが、ここが相馬家の祈願寺だった歓喜寺の跡になります。歓喜寺も相馬家が中村(現在の相馬市中村)へ移るに及び、相馬へ移り、今でも相馬市に広大な寺域を持っています。

歓喜寺址 歓喜寺
 ▲歓喜寺跡            ▲相馬市にある現在の歓喜寺

 時間は9時35分。そろそろ小高神社へ行かないと、場所が取れない。ということで、急ぎ小高神社へ

 神社へつくと、とりあえず全体が見渡せる小高い土盛の上に場所を取ることに成功。木陰なので暑くもなく、涼しい風も吹いてきて、結構ベストポジションです。

 そうこうしている間に、法螺貝が鳴り響き、やがて相馬の民謡「相馬流れ山」がはじまりました。七百年前、下総からこの相馬地方へ下ってきた相馬孫五郎重胤ゆかりの民謡で、重胤が故郷流山(千葉県流山市)を懐かしんで口ずさんだものが始まりとされています。

小高城内法螺 相馬流山
 ▲法螺役による法螺貝         ▲相馬流れ山

 その後、清めの儀式が行なわれて、いよいよ野馬懸神事が始まりました。野に放たれた荒駒を騎馬武者が神社の境内に追い込み、当主側近の御小人が素手で捕らえ、神社に奉納するという、なんとも野性味あふれた神事です。

 やがて、神社の下のほうから怒号と馬蹄の響き! ドドドドド…! と、裸馬と騎馬武者が飛び込んできました! 

野馬懸1 
 ▲境内に追い込まれた馬

 追っている所を見たほうがリアルなんでしょうが、今、この木陰で高見のポジションを動いてしまったら、二度とコノ場所には戻れない。今回は仕方なくこの場所から観戦です。

 最初に入ってきた白馬は、勢いよく飛び込んできたと思ったら、草に滑ってドスンと転んでしまいました。ちょっと呆然としたあと、その馬はのどかに食事タイム。。。「荒駒」とは程遠いイメージです。

野馬懸3 野馬懸5 野馬懸6
 ▲のどかに草をハモハモ…  ▲逃げる!         ▲奉納された馬

 野馬懸一本終るごとに、騎馬武者の一人が、観覧の総大将に終了の報告です。そして、あわせて五頭が境内に集められると、御神水を浸したでっかい刷毛で、馬に目印をつけます。その御神水のついた馬を、御小人が素手で捕らえるわけですが、はじめに目をつけられた白馬は境内から逃げようと、木陰に隠れてしまい、静かに捕まってしまいました

 残りの馬は、のちほど競りの対象となりますが、この馬たちも御小人によって捕らえられます。こっちの馬のほうが「荒駒」を髣髴とさせる暴れぶりを見せていました。

野馬懸2
 ▲逃げる!

 この野馬懸が終ると、馬競りです。何万、何十万と競っていますが、ほんとに買うんでしょうか?? ずいぶん安い買い物のような気がする。。。

 そして、競りも終ると、小高郷による神旗争奪戦です。境内の西の外れの一角で、小高神社の御神旗を打ち上げ、もみくちゃに取り合います。かなり近くでの観戦なので、雲雀が原の争奪戦よりも迫力があります!

小高御神旗
 ▲小高郷による神旗争奪戦

 しばらく観戦したあと、祭りとは離れて史跡の調査です。神旗争奪戦の広場に面して、明治の戊辰戦争時、活躍して戦死した相馬中村藩士の供養石碑が立てられています。その筆頭に見えるのが、相馬藩公家の一門だった相馬将監胤真です。その生没年が不明だったのですが、この石碑によれば三十五歳での戦死だったことがわかります。「鬼将監」と呼ばれた相馬胤真は、西軍に攻められていた平城(いわき市)の援軍に駆けつけ、西軍との戦いの中で陣頭指揮を採り、銃弾に斃れました。

相馬将監
 ▲相馬将監胤真の名

 なお、この相馬将監胤真の子も、父と同じ「胤真」を名乗り、馬術の名人として明治期に名を知られた人物でした。相馬胤真の碑は相馬中村城の大手門をくぐった先に残っています。

 このとき時間はすでに11時45分。11時59分小高駅発の電車に乗る予定なので、ちょっと急ぎ足で小高駅に戻らなくては。そして、11時56分、小高駅着。相馬駅に戻ります。

小高駅
 ▲小高駅

 12時47分、相馬駅着。ここからまず、相馬家の菩提寺の一つ、蒼龍寺(跡)へ向います。すでに蒼龍寺は南の馬場野へ移転してしまっているので、ここにあるのは墓所だけです。この寺の東側には、かつて相馬家御一家の泉家の菩提寺・東泉院がありました。今回はその跡地調査です。…が、もはや何も残っていません 幕末の時点では泉家歴代の墓碑が残っていたのですが、今は住宅となっています。そりゃそうか。

 続いて、相馬将監・相馬主税など相馬家御一家衆の菩提寺だった永祥寺跡へ。ここ一帯は「北山史跡」として昭和50年代まではかなり史跡が残されていたようですが、今は住宅と道路に様変わりしています。そんな中でも永祥寺跡はしっかり残っていて、住宅地に残されたちょっとした山道を入ると、多くの碑が残っていました。ただ、高台にあるためか、文字はすっかり風化しています。

永祥寺1 永祥寺2
 ▲永祥寺跡に残る石碑群  ▲永祥寺跡遠景

 これにて野馬追いおよび、相馬家史跡めぐりは終了です。

 帰りの5時過ぎの上り電車を待つ間の残り時間は、駅前の図書館で資料の閲覧+納涼。。。 やっぱし酷暑の中の図書館は天国です。。。

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テーマ : 史跡巡り
ジャンル : 旅行

相馬野馬追い 7月24日

 7月24日、「相馬野馬追」に行ってきました。実に三年ぶりの訪馬となりました。

 野馬追号
  ▲相馬野馬追号(臨時急行)

 「相馬野馬追号」という、この日、往復1本ずつの臨時急行に乗って、一路、野馬追の会場がある原ノ町駅へ。車内では青春18切符で乗ってしまい(急行は18切符対象外)、車掌と揉めてるヒトもいましたが、車内は比較的静かで、けっこうあっという間に駅に到着しました。

 10時3分原ノ町駅着。ここからタクシーに乗って、相馬家一門の岡田家菩提寺・法幢寺跡(今は廃寺で、山腹に開山碑と岡田家歴代墓のみ残る)を実見したあと、原ノ町駅に戻って甲冑騎馬行列を見る予定だったのですがっ! 駅前で配っているパンフレットを見ると、もうすでに行列は始まっている模様。ちとリサーチ不足でした。というわけで、今回は法幢寺跡はあきらめました

 行列の道までは原ノ町駅から1キロほどまっすぐ歩きます。すると、すでに小高郷の行列が。野馬追いは全体を通じて、旧中村藩領の行政区域(中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷)に則った組割で行なわれるため、行列もそれに応じたものになっています。そして、各郷は相馬領内にある大きな三つの妙見神社(中村神社、太田神社、小高神社)の御神輿を奉じています。

・宇多郷(相馬市)…中村神社。総大将(中村藩主・相馬家)を奉じて出陣。
・北郷(南相馬市鹿島区)…中村神社。副大将(功労者家の海老原家)を奉じて出陣。
・中ノ郷(南相馬市原町区)…太田神社。
・小高郷(南相馬市小高区)…小高神社。
・標葉郷(双葉郡浪江町、双葉町、大熊町)…小高神社。

行列1 行列2 行列3 総大将殿
 ▲騎馬行列     ▲騎馬行列     ▲御使番駆ける! ▲総大将殿

 行列は9時半から12時まで、2時間半にわたって行なわれるのですが、今回は10時過ぎから見物ということで、1時間ちょっとの見物です。途中の道は人が歩道を埋め尽くし、移動するのもちょいと難儀なので、裏道を通って、野馬追い会場の「雲雀が原」付近まで先回りです。実はこの会場付近、人が少ないのです! けっこう穴場です。

 行列はただ甲冑を着た騎馬武者が練り歩くだけというものではなく、御先乗、組頭、御使番、侍大将…等などきちんと役職が決まっていて、行列をうまいことコントロールしています。馬も馬で人の言うことを聞くのもいれば、嘶く聞かん坊もいたり、そういった馬も含めて行列を乱さず、歩道の見物人につっこまないようにするのは、並大抵の苦労じゃないべなと思ったりしました。

 さて、総大将が祭場・雲雀が原へ入り、神輿が鎮座すると、お祭りのハイライトでもある「古式甲冑競馬」がはじまります。時刻はちょうど午後12時、例年であれば日焼け確実の陽射しですが、今年は微妙な曇り空で、風も涼しく、イイ感じでの観戦ができました。レースは1200メートル、10頭立て10レース(たまにニ、三頭減っていましたが)です。旗指物の音と、数メートル先を駆け抜ける馬の重量感はスゴイですね 今年も落馬者、負傷馬が出て、救急車や馬運車で搬送されていました。

甲冑競馬1 甲冑競馬2

 この競馬が終ると、クライマックスの神旗争奪戦です。空に打ち上げられた中村神社、太田神社、小高神社の三妙見神社の御神旗を、馬上で鞭を使って搦め取るものですが、これは十発ほど打ち上げられるので、そのスキに、鎌倉時代に相馬家が千葉から移り住んだ際、奉じたという塩竈神社をお参りに行きました。田んぼの中に鎮座している社なので、周りは非常にのどかです。セミの声と田んぼから湧き上がるモワッとした草いきれ、「ぼくの夏休み」的な風景です。はるか先には中ノ郷の鎮守・太田神社も見えます。

塩釜神社 原ノ町
 ▲塩竈神社           ▲のどかだ…

 すでに御神旗を打ち上げている花火の音も数発聞えているので、早く戻らないと終ってしまいます。ちょっと早足で祭場へ戻って、数回御神旗争奪戦を見物しました。かなり激しく競り合うので落馬者も出ます。今年も救急車で運ばれていった騎馬武者がいました。

御神旗争奪戦1
 ▲神旗争奪戦(望遠足らず)

 神旗争奪戦が終ると、この雲雀が原でのお祭りは終了になります。祭場のすぐ裏手にある南相馬市博物館を見物+納涼して、原ノ町駅へ戻り、相馬中村藩の居城・中村城へ凱旋する、総大将・相馬行胤公率いる宇多郷の「お上がり」を見るため、相馬駅に向います。

 「お上がり」の行列が相馬中村城に入ってくるのは午後5時半ごろ。先回りして、三年ぶりの相馬中村城を見物し、行列を待ちます。そして、午後5時半少し前に、向こうのほうから御使番の声。行列が大手門から宇多郷勢が入城してきました。甲冑は脱いで身軽な平装になっています。

凱旋1
 ▲総大将殿。黒地に日の丸は藩公の旗。

 その後、中村城妙見曲輪において評定が行われ、甲冑競馬や神旗争奪戦などで武勲を挙げた武者などへ、総大将からご褒美が出ます。そういえば、今年は子ども武者や女武者が多かった気がします。評定に遅れて「早く来い!」と怒られている武者もいたり

陣所1 陣所2 陣所3
 ▲総大将がいるのに…    ▲評定シーン         ▲総大将から御褒美下賜

 今年の評定はあいにくの雨で、急に降ってきましたね。神社の方も赤いデカい傘を持ってきて、総大将殿にかけていましたが、総大将は神社の方のほうにさしてくださいと戻していました。

 これで、24日の野馬追いは終了。明25日は小高郷の神事・野馬懸が行なわれます。これが野馬追いのラストを飾るお祭りです。これまで見たことがなかったので、今年は朝イチで出かけます。 

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

肥前千葉氏の庶流 晴気氏

 GWは肥前千葉氏の故郷・佐賀県へ行ってまいりました。

 佐賀県立図書館の郷土資料室に所蔵の鍋島家文庫内に、肥前千葉氏の庶家として、佐賀藩士晴気(晴氣)家の記述がありました。

 晴気氏の祖となったのは、肥前千葉氏の最後の屋形・千葉介胤連の孫・鍋島忠右衛門胤信の外孫にあたる千葉作兵衛胤仲という人物。佐賀藩士になっています。胤仲は祖父・胤信の養子となり、義理の兄(実伯父)にあたる鍋島玄蕃常貞の娘婿になり、その家臣になったようです。その際、「千葉」を憚ったか、千葉家に由緒の深い「結篠(飯篠)作兵衛胤仲」と名を改めました。

 ただ、子孫に至っては佐賀藩士となったようで、藩命によって「飯篠」を「晴気」と改めています。これは千葉家の由緒地である小城郡晴気村にちなんだものと思われます。

晴気城
 ▲千葉家ゆかりの晴気城址

 ずいぶん前にさる方から、昭和期の軍人として知られる晴氣慶胤陸軍大佐について、掲示板にお書き込みいただいて以来調査をしていたのですが、おそらくこの晴気氏の出身なんでしょう。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

偕楽園の梅まつり

 水戸偕楽園の梅祭りに行ってきました。今年は暖冬ということか、梅の開花が例年より2週間も早かったようで、偕楽園は3/1時点で八分咲きとの発表がありました。

 偕楽園は水戸徳川家の九代当主・徳川斉昭がつくった庭園で、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに三名園として知られています。藩士はもちろん、領民にも開放された、江戸時代当時としては画期的なものでした。

mitonariakizou.jpg
 ▲水戸斉昭

 庭園内は梅と人であふれかえっています。入園料は無料なので、出たり入ったりする人もいます。昨年までは、門前に出店が広がっていましたが、今年は園内の端っこにも出店がありました。ここだけかどうかは知りませんが、「水戸の梅」という大判焼きが売ってました。

 八分咲きの梅とはいえ、結構な咲き様で、蕾と咲いている花のコントラストがこれまたイイ具合でした。

緋梅 白梅 桃梅

 偕楽園の梅林から、杉林を抜けて崖下に下りると、これまた広々とした回遊式庭園が広がっています。ここには上ほど梅はありませんが、庭園の趣が味わえます。

偕楽園2 偕楽園1

 偕楽園を出たあとは、すぐそばにある県立歴史館に行こうと思っていましたが、時間の関係で取りやめ。県立図書館脇の水戸城堀跡を見て、水戸駅前の水戸東照宮を参拝。ここの灯篭は慶安4(1651)年4月17日に徳川頼房(水戸藩祖。徳川家康の子)が奉納したもので、灯篭に「正三位行権中納言源頼房」と刻まれています。

水戸城堀 水戸東照宮1 東照宮銘
 ▲水戸城堀跡           ▲水戸東照宮          ▲灯篭

 なお、偕楽園の最寄り駅はJR常磐線「偕楽園駅」ですが、この駅は偕楽園梅まつりの時期のみの臨時駅で、普段、偕楽園へは水戸駅からバスで行きます。 

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

伊豆の旅 湯河原~小田原

湯河原の温泉
湯河原の川

 ここ湯河原は、弱アルカリ単純泉のオハダにやさしい、いわゆる名湯です。硫黄成分がないので街中は澄んでいます。行った時期はシーズンではなかったので旅館もすいていて、でかいフロも独り占めできました。温泉街の風情もまた旅気分をそそります。ここはまた行きたい温泉ですな

 平安時代末期、湯河原の領主だったのが土肥氏でした。源頼朝の挙兵にいち早く参加した土肥実平は頼朝の重鎮となり、平家との戦いでも副将格(軍監)で西国に下り大活躍。実平の子孫はこの湯河原のほか、中国地方にも領地をもらい、移っていった一族が小早川氏として発展しました。

 城願寺 土肥実平一族墓
土肥実平一族の墓

 で、その土肥実平・遠平のお墓があるのが、湯河原駅(土肥氏館跡)の裏手の高台にある城願寺です。お寺の境内には、実平手植えのビャクシンが渦巻いてます。でかいっ!!

 この城願寺、ダウンタウンのガキの使いで、「浜田・山崎・田中 絶対笑ってはいけない温泉宿 1泊2日の旅 in 湯河原」の撮影でも使われたお寺です。

城願寺 山門
城願寺山門

城願寺
城願寺本堂

お土産
湯河原おみやげ

 湯河原駅に隣接するこのお土産屋もガキの撮影で使われました。奥まったところでお茶とお菓子を食べれるようになっています。

小田原城城門
小田原城の城門

小田原城の城門
小田原城の城門

 さて、お土産を買って湯河原を後にし、東京へ向かって走ると、すぐに小田原城が見えてきます。小田原城を本城とする小田原藩には千葉一族・相馬氏がかなりの大身で仕えていて、藩侯・大久保氏とも血縁にありました。というわけで、その相馬氏の菩提寺へお参りに行きました。一度来たことがあったのですが、閉門ぎりぎりだったので墓石の調査を行えず、今回はリベンジのつもりでお参りしましたが、墓石が見つからない。諦めて帰ってきましたが、ジツは違うお寺をお参りしていたことが判明。また行かないと。

 小田原城は現在、江戸時代の景観への復元工事が行われています。
小田原城復元工事

 どんな風に変わるのか、完成はもうチョイ先になるんでしょうが楽しみですな。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

もうじき

 もうじき、梅の季節になります。

 今年も偕楽園へ鈍行にのって2時間半揺られて行こうと思っています。今年は任天堂DSがあるので、時間つぶしは余裕ですな。
偕楽園

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

■九州旅行1

 今年のGWは九州へ。佐賀県の千葉氏をめぐる旅です。去年は郡上、一昨年は京都。なんだかんだGWは毎年千葉氏にまつわるところへ旅行に行ってます。
 
 あちこち寄るところがあったので、佐賀に着いたのは日暮れ時でしたが、夜8時まで開いている佐賀城の本丸御殿があるというので行ってみました。やっぱり地元でしか味わえないとこには行ってみなくちゃ、と覗いてみました。

 すげー…。玄関を上がると畳の廊下がずーっと続いています。殿様の居間にいたっては、いったい何畳あるのやら。しかも、この御殿、入場料がありません(驚)。帰りに満足度に応じた寄付金を箱に入れるという形になっています。とりあえず、この御殿の雰囲気代と展示の内容、相場を考えて1000円(^^;
本丸御殿1

↑本丸御殿の廊下。住めます(T_T)

 御殿を出て、まだ少し時間があったので佐賀県立図書館へ! 少しでしたがなかなか掘り出し物がありました。ただ、郷土資料室は残念ながら時間外で閉まっていました。。。本当はここの資料も見たかった。

 さて、ご飯を食べようと図書館を出てうろうろしましたが、それらしい店がない!! 結局、佐賀駅まで2キロあまりの間に1件もありませんでした。ここは東京で言えば大手町のメインストリートです。なのに、シャッター街と化しています。。。これではあまりに寂しすぎます。佐賀県、佐賀市がんばれ!

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野馬追本祭り!

ビワミン今日は相馬野馬追の本祭り!

 朝イチで駒ヶ嶺駅(相馬駅の隣駅)そばの旅館「相馬六万石」(←この旅館、きれいでリーズナブル。女将さんも親切でとてもいいトコでした(^_^))を出立しました。朝イチといっても寝坊したので8時23分の電車なのですが。女将さんが駅まで送ってくれると言ってくれたのですが、さすがにそれは申し訳ないので。

 ここ駒ヶ嶺駅は無人駅ですが、きれいに掃除されている駅でした。田んぼに囲まれたのどかな駅前には無料の駐車場があり、なんともうらやましい限りです。チャリンコ一台一ヶ月二千円も取るような千葉県M市とは大違い。

 ただ、このあたりの常磐線は約1時間に1本しか来ません。8時23分の電車を逃すと、9時半からはじまる原町市の騎馬武者の行列を見逃してしまう! 旅館のおかみさんは「車で(駒ヶ嶺)駅まで送って行きましょうか?」なんてすばらしい事をおっしゃってくださいましたが、朝の田んぼ道の散歩もしたかったので、お気持ちだけ頂戴仕まして、てくてくと駒ヶ嶺駅まで一キロほどを歩いて(途中、ちょっと走りながら)、23分の電車に飛び乗りました。

 さて、ニ、三十分ほど電車に揺られて原ノ町駅に到着。駅前は野馬追を見物する人たちでごった返していました。うが! 人多すぎ!! 実は、管理人は行列の前に見に行きたいところ(相馬の殿様の御壇=お墓)があったのですが、場所の事前リサーチをしなかった上、地図も忘れたので、途中まであてもなく歩いたあげく諦めました(T_T)

 そんなころ、騎馬武者行列開始の花火が打ちあがり、これは大変だと、もと来た道を戻っていったのですが、予想以上に遠くに来てしまっていたようで、行列が練り歩く本通りまでおよそ5キロをスーパー早歩きで走破し、武者行列に追いつきました。行列が行われる本通りは、人人人!! 人垣が歩道を三重四重に埋め尽くし、大変な混み具合でした。

 行列が始まるとにわかに曇っていた空が晴れ渡り、ありがたくもない強い日差しが燦燦と降り注いできました。

 行列は約1時間続き、脳天を紫外線シャワーに焼かれつくしてグダグダな管理人でしたが、行列の終盤にようやく総大将・相馬陽胤公が登場! 殿様なのに馬上でお辞儀をしながら通っていく爽やかな若武者でありました。行列はそのまま祭りが行われる「雲雀が原」祭場に吸い込まれていきました。

 管理人は行列を見送ったあと、祭場から1キロほど南にある「岩屋寺」というお寺に行きました。このお寺の裏山のてっぺんに室町時代の相馬の殿様・相馬重胤公の御壇があるのです。でも、いざ行ってみると、山に登る道がナイ!! こんなマニアな山に登る物好きはいないんだろうな、と思いながら、道なき道をクモの巣に巻かれながら登っていくと…ありました! 立派な御壇です。お参りをして、もと来た山道を下り、野馬追祭場に戻りました。

 祭場ではすでに「甲冑競馬」が行われていて、ものすごい熱気でした。今年も迫力ある写真を持って帰るぞと、第1コーナーに頑張っていい、ポジションをなんとか掴み取り、おもむろに似非一眼デジカメを取り出しました。ただ、連続写真というものを撮ったことがなく、カメラの説明書も読んでいないので、カンに頼り、馬が通り過ぎた後の寂しい馬場が写ったり、なかなか絵にならない写真をいっぱい撮ることができました。まぁ、その中でいくつかはまじめに撮れていたので、結果オーライでしょう。

 競馬の後は、「御神旗争奪戦」が行われました。これは、相馬氏所縁の妙見神社の御神旗を花火で打ち上げ、騎馬武者が鞭で絡め取る神事で、馬&人が入り乱れて、なんかもうグチャグチャです。観戦しているところからちょいと遠い所でやっているので、おっ、なんかやってるぞ程度にしか見えないのが悲しいところです。

 管理人は神旗争奪戦の途中ながら、早めに切り上げさせてもらい、相馬市に移動して、相馬駅前の図書館で昨日の続きの読書に没頭しました。ここにある「岩崎博士文庫」は相馬氏に関する貴重な文献がそろってまして、管理人にとっては魅惑の花園になっています。ただ、コピー厳禁なので、必要な部分を一生懸命書き写すことをしなければなりません。これが一苦労なのです。

 …といっている間に5時で閉館の音楽がチョロチョロ流れてきました。はよ出てけミュージックに乗って後ろ髪をひかれる思いで図書館を後にした管理人は、日に焼かれて真っ赤になった鼻を中村城に向け、総大将の御帰還に間に合うよう、急いで中村城に入城しました。

 ここで行われる凱旋式も勇壮なものでした。総大将の挨拶、感状の授与などが行われ、解散となります。相馬野馬追は翌日の小高妙見社で行われる「野馬駆け」をもって終了となります。

 管理人は凱旋式の途中で空腹感に耐え切れず、途中退席。相馬市役所前の蕎麦屋さんで天ぷらそばを食ったわけであります。この蕎麦屋さん(丸久さんだったかな)は、管理人が相馬を訪れたときには必ず立ち寄る蕎麦屋なのですが、ウマイです。相馬に行かれた際にはぜひご賞味ください。

 ふと街を歩いていて、全国を見わたしてみても、旧藩の旧領全体を挙げて、旧領主の子孫を迎えて伝統的な祭りを行っているのは、ここ相馬だけではないか、と思ったりしました。相馬野馬追は国の重要無形文化財に指定されていますが、文化の伝承は大切なことだとつくづく感じた今日この頃でござりました。

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もっきー

Author:もっきー
千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

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