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■あぁコーフン

アロマ どうも、ホームセンターや百均の文房具コーナーや棚・引き出しのコーナーに行くとコーフンしてしまいます。なんだかワクワクして、別に必要もないような棚なんかが欲しくなってしまうのです。特に無印良品はいいですね。あのかざりっ気のないルーズリーフ、バインダーなんかは見ているだけで幸せです。ほかにも雑貨屋の線香、アロマオイルは気に入った匂い(森の匂いとか杉、檜なんかの針葉樹系)があれば、ついつい買っちゃいますね

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治承4(1180)年9月29日

 頼朝に随う軍は二万七千騎に及んだ。甲斐源氏一党、そのほか常陸国、下野国、上野国の軍勢が参陣すれば五万騎に及ぶだろう。しかし、武蔵の大族・江戸重長は大庭景親に与していまだに参陣していないので、試みに昨日書状を遣わしたが、やはり追討すべきであると、中惟重を葛西清重のもとに派遣した。大井要害を見ると言って偽って重長を誘い出して討ち取るようにとの旨が伝えられた。江戸重長と葛西清重は同じ秩父一族であるが、清重は二心を抱かぬ人物として頼朝の信頼を受けていたため、この旨が下された。
 また、佐奈田義忠の母のもとに使者が遣わされた。佐奈田義忠は三浦一族で岡崎義実の十一男。頼朝の信頼が厚く側に仕えていた若武者だったが、石橋山の戦いで討死した。彼の幼息は義忠の所領・相模国佐奈田郷にいて、大庭景親ら相模・伊豆の凶徒らに必ず攻められるに違いないと、彼等を下総国へ送るための使者であった。
 今日、小松少将・平維盛(平清盛嫡孫)率いる平家の大軍が関東に向けて京都を出立した。薩摩守・平忠度(平清盛末弟)、三河守・平知度(平清盛七男)らがこれに従った。これは、大庭景親が8月28日に関東から発した飛脚が9月2日に京都に到着し、それ以来軍勢催促の沙汰があり、この日の出陣となった


 平家がはじめて頼朝追討のために大軍を派遣した。主将は平清盛の嫡孫で美男の名が高かった小松少将維盛。これに、武勇で知られた平忠度、平知度の両将が従った。平家はこの大軍と大庭景親をはじめとする相模、武蔵、伊豆の平家党とともに、遁走した頼朝を探し出すくらいの考えで出陣したのではないだろうか。大庭景親自身も頼朝がわずか数日の間にこれだけ大きな勢力を持つ事になったとは信じられない思いがあっただろう。今後の景親の行動も混乱に満ちていることからもそんなことがうかがえる。

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■B'zベスト PleasureⅡ発売+HP更新記録■

 今日のめざましテレビでB'zのベストアルバムが出るとの情報をゲット。発売日は11月30日。タイトルは「PleasureⅡ」。何年も前に出たベスト版「Pleasure」の後ってことでしょう。

 今回のベスト版には「いつかのメリークリスマス」の別Vers.が入っているらしいので、年末に向けての楽しみがひとつ増えました。

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 9/25、HP千葉一族を更新。
 
 円城寺氏については、律静房日胤にゆかりという光明山円城寺の写真を追加。この寺は千葉介常胤が息子・日胤の菩提を弔うために建立したと伝えられ、円城寺氏の本拠地がすぐ近くにあります。しかし、ここの寺を探すのは大変苦労しました。なんせお堂がありません。カーナビ情報によれば、確かに寺があるはずなのに、寺らしき物体はありません。とりあえず、その寺と思われる場所の近くで車を降り、あたりを探し回ると、住宅と住宅の間に小道を発見。どうやらこの小さな小道が参道のようです。

 かつての参道には古い地蔵が並び、花などが供えられていて、供養はされています。その向かいには文化財に指定されている大きな木も残っているのですが…。いわゆる本堂もなければ、鐘点堂もありません。どうやらそこにある一軒の家が「お寺」のようです。家の前にはお寺の由来を記した立て看板があり、確かにここが「光明山円城寺」であるようです。参道にも杜はなく、本堂すら消えてしまった状況。。。檀家もなくなってしまったのでしょうか。

 下総相馬氏の小田原相馬氏に、小田原相馬氏の菩提寺・誓願寺の写真を掲載しました。小田原相馬氏は下総相馬氏の流れをくみ、小田原藩士として幕末まで続いています。しかもかなりの上級藩士です。大手門北側に九百七十坪あまりの屋敷地を持っていました(『常総戦国誌』川嶋建著 論書房出版)
 このお寺は箱根の帰りに訪れたのですが、すでに夕方、5時を回り、鉄筋コンクリ製の本堂は閉まっていて、お参りはできなかった。また、お墓への柵も閉じられていたため、相馬家の墓石を見ることはできず、山門のみを撮影してきた。

 「旅先でみた風景」にはいくつかの写真を追加。

 「千葉氏の百寺巡礼」の項目を新設した。

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治承4(1180)年9月28日

 頼朝は使者を江戸重長のもとに派遣して召し出した。
「そなたは大庭景親とともに石橋山の戦いで私に敵対したが、以仁王の令旨の御旨を守って従うべし。武蔵平氏の棟梁家である畠山重能、小山田有重らは在京して留守にしており、今の武蔵国の棟梁はそなたである。大変頼りにしているので、武蔵国内の勇士たちを率いて参陣すべし」と命じた。


 江戸氏をはじめ、武蔵平氏の秩父一族(河越重頼、畠山重能、小山田有重、江戸重長ら)は平家に加担して頼朝と戦った。頼朝が武蔵国に来たときに当地に残っていたのは江戸重長だけだったため、頼朝は江戸重長を棟梁と認め、武蔵国内の勢力を手に入れようとしたのだろう。

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■東京丸ノ内にて■

東京1 今日は会社帰りに東京駅へ晩ご飯を食べに行ってきました。本を買いに行く用事があったので、そのついでだったのですが。

 最近、丸ノ内は再開発ラッシュで、2007年には新丸ビルが完成するとのこと。それから東京駅も建築当時の三階建てに変更するようです。

 東京駅丸ノ内北口を出て道路を渡ったところに「OAZO」というショッピングモールがありますが、ここに丸善が入っています。かなり本の量は多く、駅をはさんで反対側の八重洲ブックセンターよりも多いかも。

 ここで本を見た後、東京駅地下のレストラン街をぶらつきました。しばらく来なかったうちに、いろいろできています。ただ、行く店はいつも大体決まっていて、今回は蕎麦を食べたい気分だったので、大丸の通りの一番奥にある蕎麦屋「蘭免ん」へ。ここの蕎麦屋は安いのですが、麺はコシがあり、なかなか美味しい。ザル蕎麦系統を頼むと出てくる蕎麦汁がお気に入りですね。この店の蕎麦汁は甘みがあります♪

 帰り際に「Mrs.Elizabeth Muffin」のクッキーを買って帰ってきました。ここのクッキー屋も気に入っているのですが、うまかったホワイトチョコ入りクッキーが姿を消していました。残念。消えてしまったお気に入りのものといえば、ドトールに昔あった「フレンチサンド」はかなり美味しかったですね。大学の授業の合間にニ、三回お代わりしたこともあったっけ。あぁ、また食べたいです。

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■あぁダイエー撤退■

 ダイエー撤退。

 よく使っていたダイエーが撤退するとの情報がYAHOOに載っていました。う~ん、セールのときなんかはかなり混みあって、最近ではマックがテナントで入ったりして賑やかな印象だったんですが。なんだか寂しいですね。かつてここにあった忠実屋がダイエーに乗っ取られたときも、忠実屋なくなっちゃうんだぁ…寂しいなぁと思ったりしましたが、その勝者のダイエーも滅ぶときが来たということでしょうか。盛者必衰の理をあらはす、といったイメージです。

モリゾーキッコロ
 話は変わりますが、昨日、愛知万博が閉幕しました。モリゾーとキッコロは森に帰っていくところなんかは一抹の寂しさを感じましたが、こういう博覧会は終わりがあるからいいんですね。ダイエーも品物は多いが欲しいものがないと言われましたが、飽きられちゃう部分があったんでしょうね。

 自分的にはあのダイエーは結構気に入ってたんですけどね。こんどその辺に行ったら記念に写真撮っとくことにします。

■台風一過の散歩道■

 台風一過、夕方から晴れ間がのぞきました! こりゃ、散歩にいくしかない! ついでに「コンスタンティン」のDVDでも借りてきましょう! と、四キロほど先のレンタル屋まで散歩することにしました。

 外に出てみると案外涼しい。空はかーんと晴れた突き抜ける青さがあります。夕方なので日差しは強くないですが、くっきりと陰影をつけた木漏れ日は健在です。やっぱり、台風一過の空気っていいものですね。雲は台風あけ独特の少し厚めの筋雲、鳥のササミのような感じの筋雲が流れていきます。

 いつもは車で行く道を徒歩で行くと、あぁ、こんなトコにレストランが! とか、こんなとこに神社が! などという新発見をしたりするもので案外面白いです。

 テクテクと、周辺の広大なお屋敷を見ては表札を見て、地主かぁ、なんて思ったり。このへんは地主さんがだいぶ幅を利かせています。ここがまだ戦国時代だった十六世紀ごろ、土地の戦国大名の家臣や一族の中にその名が見える家々がまだこの現代においても地主として続いています。あっちを見ても●●さん、こっちをみても●●さん。●●駐車場、●●ハイツ…。酒屋さんや八百屋まで●●さん。

 そんなこんなで、のんびり歩いて一時間、レンタル屋に到着。残念ながらお目当ての「コンスタンティン」はすべて貸し出し中!! 10コくらいある在庫がすべてなくなっています。

 結局、借りるものもなく、ぶらりとまた帰る事にしたのですが、途中にあるホームセンターで運動用のボール(ちょっとでっかい)を買ってみました。運動するのかしないのか未来のコトはわかりませんが、試しに買ってみました。このあいだ箱根に行ったとき、友人宅にあったこの運動ボールがけっこう面白くてついつい購入したのですが、いざやってみるとビミョーにきつい。地味なきつさがあって長く同じ運動を続けていると飽きてくるのが問題です。。。これは絶対続かない…

 そんなモノを買いつつ、ブラブラと行ったことのない道を歩き、真っ暗な空の中で一番星を見つけ、久々に見たなぁと感傷に浸りながら、日も落ちてだいぶ肌寒くなってきた風の中を、ちょいと早歩きで帰りました。

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 治承4(1180)年9月24日

 北条時政と甲斐源氏は、甲斐国逸見山の陣を引き払い、石和御厨に進んで陣を張っていたところ、今日子の刻、土屋宗遠が馳せ着き、頼朝の仰せの旨を彼らに伝えた。これによって、武田信義、一條忠頼ら甲斐源氏一党は集まり、駿河国に出陣することにつき、軍議が執り行われた。

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■柏のラーメン屋 フーサワ■

fu-sawa2 柏のビックカメラに。もともとココは柏そごうの新館でスカイプラザという建物でしたが、今年の春先にビックカメラに変わりました。

 ビックカメラにとくに用事はなかったのですが、なんとはなしに出かけて、最近のパソコンの性能と値段をチェックしました。当たり前ですが、今使っているものよりもかなり良くなっています。単純にハードディスクが3倍以上もあるのにびっくりしました。

 その後、ぶらっと柏のラーメン屋、「フーサワ」へ。ここは柏駅東口からメイン通りへ出て少し行ったところのSEGAの地下にあって、美味しいところです。今日は朝からバナナしか食べていなかったのでけっこうハラペコ。そこで頼んだのが、餃子とチャーシュー麺です。

 このラーメン屋は呼び鈴がないので、大声で呼ぶことになるのですが、店員があまり動かず、カウンター周りにたむろしてて、遠くにいると周りの音に消されて声が届かない。もうちょっと周りに気を配ったほうがいいと思うんだが。

 そんなこんなで出てきた餃子とチャーシュー麺。でっかいチャーシューが三枚乗って、麺もコシがあっておいしいのです。餃子もやわらかすぎず良かったのですが、微妙にヌルい。あんまりできたてほやほやという感じがしなかったのが残念です。

fu-sawa それから、ここにはテーブルに「コショウの粒」が置いてあって、好きな量をすり鉢ですってかけることができます。ただ、このコショウがなかなか曲者で、かなり堅い上に丸いのでゴロゴロ転がって思うようにすりつぶせません。これを頑張って没頭していると麺が延びてしまうので、ほどほどにしなければいけません。

 そんなこんなで腹いっぱいになって、柏丸井をウロウロ、柏新星堂をウロウロ、焼きたてパン屋でパンを購入して帰途に着きました。台風が近づいていたせいか、雨が降ったり止んだり風が強まったり。もうだいぶ涼しくなったので、最後の台風になるのかな?

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■ジョイフル本田■

joyful お彼岸の墓参りが終わってから、ちょいと印西の巨大HCジョイフル本田まで足を延ばしました。ガーデニングから日用品、食品、フードコート、激安ガソリンスタンドまであります。すぐそばにはヤマダ電機や家具屋アウトレット、最近オープンしたシネコンなど、一日いても飽きない感じです。ヤマダ電機のすぐ隣にも大きい建物ができつつありました…あれはなにができるんだろう。

 さて、ホームセンターに来たのは、黒ハムスターがいる情報をゲットしたからなのですが、駐車場の端のほうに車を止めてしまったため、まったく反対側にあるペットコーナーまで延々と歩くハメに。まぁ、途中に歩く歩道が二か所ほどあったので、そんな大変ではなかったのですが。

 ペットコーナーに到着したものの、残念ながらお目当てだった黒ハムはいませんでした。残念。ただ、ものすごいデブハムがいましたね。うちのハム蔵も相当なデブだと思っていましたが、上には上がやはりいるもので、横綱級です。。。腹はあったかくてモフモフしてそうですね。

 その後は、うろうろとペットコーナーを彷徨うものの、特にめぼしいものもなく、ジョイフル本田を出て、ヤマダ電機を見物に。新しいとはいいつつも、中身はほかのヤマダと変わらないですね。

 連休初日ということもあってけっこう道も混んでいました。スピード出してる人も多かった感じ。みなさん、事故には気つけましょう。

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■お彼岸■

武田神社 今日は彼岸の墓参りです。あまり天気がよくないと予報で言ってましたが、うす雲はあるものの青空が広がっています。いい墓参り日和です。

 秋の彼岸は、秋分の日を中日に、前後三日をいいます。そして、そのときにお供えするアンコ餅を「おはぎ」と言います。この「おはぎ」、春のお彼岸にお供えする「ぼたもち」と同じものですが、言い方が違います。それは、その頃咲いている花にちなんでいて、秋のお彼岸、いまごろちょうど野に咲いている「萩」の花にちなんで「おはぎ」。そして、春のお彼岸の頃咲いている「牡丹」にちなんで「ぼたもち」というわけです。

 …彼岸でないときは、なんでしょうね。ただのアンコロ餅ということでしょうかね。

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■志村通■

…おっと、また寝てしまいました

 目を覚ますと、今の時間がわかりません。いったいいつ寝て、いまは朝? 夜? ふとわからなくなることありませんか?? ワタシだけ?

 ふとテレビを見ると、志村けんの深夜コント「志村通」をやってますね。ということは、木曜日の深夜。ってことは、今日会社が終われば明日から三連休~!

 「志村通」、けっこう面白くて好きですね。志村けんのコテコテのコント番組ですが、アットホームな運送屋が舞台でほんわかしたイメージで進行するので、古臭さを感じません。出演は志村けん、優香、ダチョウ倶楽部、その他(夏川純、ゆりん、里中あや:HPより)という感じ。コントだけでなく、簡単につくれる料理なんかもやってます。

 これ見たらベッドでちゃんと寝なくちゃ体が痛くなるのですが、いっぺん目が覚めるとなかなか寝られないもんです。

…と言ってる間に、次の番組が始まってしまいました。坂本龍馬がタイムスリップして現代に来て、何かしているようですが、こっちは面白くないです。

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■I ♥ U■ ~Mr.Children~

airabuyu- Mr.Childrenのニューアルバムを買いました。「I ♥ U」。

 アップテンポな曲やスローなものまで取り混ぜて入っていますね。久しくこういうミスチルを聞いてないなぁという感じを持ちました。まだ一回しか聞いてないのでなんとも言えませんが、何度も聞いていくうちになじんでくると思います。

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治承4(1180)年9月20日

 土屋三郎宗遠が頼朝の御使いとして甲斐国に向かった。「安房・上総・下総の三か国の軍兵がことごとく参向している。甲斐源氏一党は、上野・下野・武蔵国の精兵を率いて駿河国まで出兵し、平氏の軍勢を待ち伏せせよ。早々に北条時政を道案内として黄瀬川辺に来向せらるように」と、武田信義以下の甲斐源氏に命じるためであった。
 このころの源氏は、決してすべて頼朝に従っていた訳ではなく、代表的な独立勢力だけでも、信濃の源義仲(木曾)、甲斐の源信義(武田)、上野新田の源義重、下野足利の源義兼、常陸志田の源義憲…などがいたのだ。このうち、甲斐源氏一党を率いていた武田信義を味方につけるべく、先だって北条時政を派遣し、またさらに土屋宗遠を派遣した。

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■森林浴 in Yokohama■

 今日は横浜の旅。といっても、港ではなく山。ヨメとヨメの父さんと一緒に森林散策です。

 森林浴気分で、山の中の小径を歩きます。今日は少し暑かったですね。森の中の木漏れ日はまだ少し強い感じ。この森は人工的に作られた森とは違って、クヌギやコナラが多い雑木林です。小さい頃にカブトムシを捕ったあの森の匂いがする懐かしい感じ。
 
kuroageha 森の中にはツクツクボウシやアブラゼミが鳴き、昨日までの箱根の静けさがうそのようですな。そして、蚊も。二、三匹は引導を渡しましたが、そう簡単に血を諦める連中ではなので、タオルをフリフリしておっぱらいながら森を散策です。トンボやハチ、バッタ…色んな昆虫がいます。ふと見るとクロアゲハが頭の上をくるくると回っています。そして頭上の葉っぱに。久しぶりに見るクロアゲハ。住宅地のすぐとなりの森なのですが、まだまだ自然がいっぱいです。

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治承4(1180)年9月19日

 上総権介広常、上総国の周東・周西・伊南・伊北・庁南・庁北の豪族たち、およそ二万騎もの大軍を率いて、頼朝の隅田川畔の陣に参上した。しかし頼朝は広常の遅参を大変な剣幕で怒り、まったく許す気配がなかった。広常は「今日、諸国の武士達はみな平相国清盛の息がかかったものばかりで、ここに流人の頼朝が兵を挙げた。頼朝に大将の相がなければただちに彼を討ち取り、平家に献じようとも思って参上した。この数万の大軍の合力を見て悦ばれるかと思っていたが、かえって遅参を咎められた。これは大変な将器だ。」と感じ、内心では頼朝を討とうと思っていた心を改めたという。

 陸奥鎮守府前将軍・平良持の息男、平将門が東国を掠め取って反逆を企てたとき、藤原秀郷が偽って彼に臣従する旨を称して彼の陣所に入ったところ、将門は喜びのあまり髪も結わずに烏帽子に詰め込んで秀郷に会った。秀郷はその軽薄さを見て、将門を討つ志を強くし、のちに戦場でまみえ、彼の首を取った。

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■箱根二日目■

 箱根二日目。

 早朝から、友人パパさんと芦ノ湖・箱根神社へ。友人達は昨日の疲れか寝ていたので、すでに起きたワタシだけが友人パパさんと一緒に車で出発したわけです。

 早朝の箱根はかなり冷えた空気に包まれています。時間は午前5時、人の気配はなく、杉の匂いが山から降りてきていました。朝日が上がっている山には、箱根大文字焼きの「大」の字がくっきりと見えます。

曾我兄弟 さて、友人パパさんが運転する車はスイスイと箱根の道を走っていきます。すると途中に大きな五輪塔を三つ発見! 車を止めてもらってダッシュ! かなり大きな石塔です。高さは二メートルはあります。これだけ大きいものは鎌倉時代の時宗系僧侶の五輪塔に見られますが、説明版には「重要文化財 五輪塔 俗称 曾我兄弟、虎御前墓」とありました。銘には永仁三(1295)年に地蔵講中によって建てられたものとあります。曾我兄弟は鎌倉時代の仇討ちで有名な曾我十郎祐成、曾我五郎時致兄弟のことですが、永仁3年であれば彼らが誅殺されてすでに100年を経過しているので、これが曾我兄弟の墓ではないことは確実で、水輪に地蔵が彫られているので、やはり碑文の通り、地蔵講結縁衆等平等利益を願っての建立でしょう。誰かのお墓というわけではなさそうですね。しかし、こんなでかい五輪塔は千葉や鎌倉でしか見たことがありません。

 車に戻り、目的地の箱根神社へ向かいました。

hakonegongen 箱根神社に到着すると、こんな朝っぱらなのにすでに車が数台とまっていて、十人くらいの団体さんが鳥居前で記念写真を撮っていました。箱根神社の竜神様は芦ノ湖から来るとのことで、芦ノ湖の中に朱の鳥居が建っています。鳥居の額の揮毫は吉田茂とありました。でも、残念ながら陸からは見れません~。湖の水は富士山の湧水が湧いているので、透明度は高く、石でできた船着場をひたひたと洗っています。

 この鳥居からまっすぐ本殿まで階段が続き、樹齢千年の杉の木立がその参道に沿って立ち並んでいます。苔むした階段脇の石積みに杉の根が覆いかぶさっています。そして階段の途中に、曾我兄弟を祀る真新しい曾我神社がありました。屋根には曾我家の家紋が輝いています。参道を挟んだ対面には武道殿があり、弓道場も見えました。この武道殿は結構格の高いところらしいですが、朝日が差し込むその中には虫が相当な数飛んでいるのがみえます。う~ん、もうちょっと掃除をしたほうが良さそうですよ。

 さて、参道をさらに登ると箱根権現の本殿へ到着。神奈川では唯一、菊(三割)の御紋を許されているこの神社は、奈良時代に萬巻上人によって建立された由緒ある神社です。平安時代末期には、源頼朝が伊豆に流されてきたとき、箱根権現別当・行実とその弟・永実がよく援けました。その恩義に報いるべく、鎌倉幕府の代々の将軍はこの箱根権現と伊豆山権現への参詣を「二所詣」として続けていました。

 さて、箱根神社詣を済まして、芦ノ湖を眼下に眺めながら車でびゅーんと帰宅。むくむくと置き出した友人達と、朝風呂を浴びに昨夜行った旅館の温泉へ向かいました。

足跡 朝と夕とは温泉の雰囲気はまるで違いました。朝の冷えた空気の中での露天風呂は格別ですね。風呂は夜と違って結構アツアツです。またまた貸切状態で、チュンチュンチュンという鳥の声を聞きながら乳白色の硫黄泉を堪能しました。あ~温泉に来るのが久しぶりなので何度でも入れそうな勢いですね。

 友人宅に帰り、UNOをして時間をつぶします。久しぶりのUNOはハマります。

料理 昼は近所の旅館でかなり豪華な和食。あちこち旅行をしていますが、料理に頓着しないほうなので、旅行先の料理にはこだわりなく過ごしてきたせいか、黒い机に白い和食器の数々がまぶしい。そして、これまた腹いっぱい堪能しました。

 そして、夕方、帰り際にまたまたひと風呂浴びて、さらに足湯までつかって、お世話になった友人に別れを告げて帰途につきました。

小田原 その後は友人達と小田原に出て、小田原の城下町を散策。駅のすぐ近くに北条氏政・北条氏照の腹切石を見て、小田原城へ向かいます。すると小田原城下ではお祭りをやっています! 踊っている人を見ると拍子木を持っているので、ハヤリのよさこいでしょう。小田原でもやってるんだなとお祭りを横目に見ながら小田原城内に入ると、ここでもよさこいコンテストが行われ、屋台もたくさん出ていました。
 
 天守閣を見たあとは、とりあえず屋台を物色して祭り気分を堪能し、帰途に着きました。

 有意義な箱根の旅でした。

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■箱根一日目■

 箱根一日目。

 新宿から小田急ロマンスカーに乗り、ぴゅーっと箱根湯本へ。ロマンスカーが空いているのかどうかも調べずに新宿駅まで行ったのですが、これがまた結構空いていて、先頭車両にあっさりと席を確保できました。

 箱根湯本から箱根登山鉄道へ乗り換え。実はこの駅から数百メートル先にある早雲寺に行きたかったのですが、時間の関係で泣く泣く諦めることに。早雲寺は小田原北条氏ゆかりのお寺で、ぜひとも行ってみたい寺でしたが…あ゛~すぐそばにあるのにぃ~。

 そんなこんなで箱根登山鉄道に乗り込むと、電車はゴツゴツゴツゴツゴツと動き出し、箱根湯本の街がたちまち眼下に広がりました。お~、結構登るのね。急な山道の途中途中に谷川や、小川、滝などが見え、ディズニーランドのウェスタンリバー鉄道を思い出しました。

 しばらく登ると、これ以上の急坂に耐え切れなくなった登山鉄道は、運転手と車掌が走って入れ替わり、スイッチバックして発進する。これを何度か繰り返して強羅駅までひたすら登っていきます。箱根登山鉄道の登り角度は日本一、世界でも四位という急勾配だそうな(車内放送より)。

 ゴツゴツゴツゴツ……

cablecar しばらくして終点の強羅駅に到着。ここからスイス製のケーブルカーに乗り換え。このケーブルカー、なかなか眺めがよく、しかも管理人が大嫌いな釣り下がり式のものではなく、勾配に沿って地べたを走っています。ガリガリガリガリガリ…と登っていって、駅にふんわりと止まるとスーッとドアが開きました。

 最寄り駅に到着して、出迎えの友人とともに友人別荘へ。そして温泉へ。

 温泉は硫黄泉、露天風呂と内風呂があり、とりあえず、いきなりメインディッシュ的な露天風呂に旅に疲れたからだを一気に沈めます。閑かです~。

 空はすっかり夕闇で、温泉の湯気が露天風呂の菅製の屋根に籠もって白く滞留します。それがすぐ横にある黄色い照明と混ざり合って、えもいわれぬ空間ができあがっています。しかも、他に人はいなかったため、完全に貸しきり状態です。贅沢です。

 温泉を満喫した管理人は、友人宅へ。あとは友人達とまったりと過ごして一日が終わりました。

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箱根へ

 今日から箱根へ行きます。友人の別宅へお邪魔するのですが、最近は晴れが多いので、イイ富士山を期待できそうですね。

 箱根は温泉が楽しみですが、箱根周辺は源泉施設の一部がこないだの台風で壊されて、泉質が違う源泉からお湯が引かれているようですね。まぁ、温泉に入れれば何でもいいんですが。そして帰りに時間があれば、石橋山合戦場跡、小田原城などを見て回って、かまぼこ買って帰ろうかと計画していますが、時間的にかなり厳しそう。

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 治承4(1180)年9月17日

 武衛(頼朝)は上総介八郎広常の参陣を待たずに上総国を出立され、市川の下総国府へ向かわれた。千葉介常胤(63歳)も子息の胤正・師常・胤盛・胤信・胤通・胤頼、嫡孫の成胤を随えて下総国府に向かい、武衛と面会した。率いる兵は三百余騎であった。

 常胤はまず、千葉合戦で成胤が召し捕らえた千田判官代・藤原親政を曳き出して武衛の御見に入れ、次いで弁当を献じた。

 武衛は常胤を座の右に招かれ、「今後は司馬(常胤)を父と思うぞ」と仰せられた。このとき常胤は千葉から伴ってきた若者一人を呼び、「彼が本日の贈り物です。」と申し上げた。彼は、平治の乱で源義朝(頼朝父)に随って戦死した陸奥六郎義隆の子息で、毛利冠者頼隆という若者だった。陸奥六郎義隆は頼朝の高祖父で武神と崇められる八幡太郎源義家の六男である。頼隆は紺村濃の鎧直垂を着し、常胤の傍にひざまづいた。

 武衛は頼隆をしげしげと見られたが、その気品や態度はまさに源氏の末裔である。武衛は頼隆を常胤の上座に招かれた。頼隆の父・義隆は去る平治元(1159)年12月、平治の乱に敗れて関東に逃れる最中、比叡山南の天台山龍華を越える道で落ち武者狩りにあって討死した。このとき、頼隆は生まれてわずかに五十日あまりであった。平治の乱の戦後処理でこの幼い頼隆も連座の対象になり、平家は永暦元(1160)年2月、頼隆を千葉介常胤預けとし、下総国に配流した。


  常胤のもとには22歳になった若武者・源頼隆がいた。彼は世代的には頼朝の祖父・源為義の従弟ということになるのだが、34歳の頼朝よりも12歳も年下という世代と年齢の逆転が起きている人物である。源氏一門として頼朝から優遇されたが、同時に千葉一族ともずっと親密で、子孫は千葉氏に従っている。

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■自動車保険決定

車 自動車保険、満期ギリギリで契約!

 いろんなところから資料が届いたけれど、ドコもココも代わり映えがしないというか、同じような契約内容で値段が雲泥の差です。安ければいいってもんではありませんが、高いところは避けます。

 自動車保険を決める上でいろいろと参考にしたサイトの一覧。結局はどこがどんなメリット、デメリットがあるのか、その保険会社の評判、満足度が高いところで、金額面でも納得できるところで決めることに。

自動車保険15社一括見積の保険スクエアbang!
→ここの「賢い自動車保険の選び方」「事故対応サービス(満足度がわかります)」「特約保障プラン」など、自動車保険を決める上でとても参考になりました。

2ちゃんねる「保険業界α」掲示板
→2chの性格上、完全に鵜呑みはできないものの、保険会社の態度のイメージがつかめます。明らかにヤバそうな保険会社にあぶなく入るところでした…。江戸以来の松坂商人の肩書きを持つところにしてはずいぶんお粗末なイメージです。他にも保険会社の対応を見て却下したところがいくつかあります。やっぱり、保険会社はメリットよりもデメリット面をたくさん見てから契約すべきですね。

 そんな保険キメでピリピリしていた最中、ふとYAHOOを見ると「明治安田生命保険の保険金不払い問題」についての記載がありました。なんとマニュアルに「2回苦情を受けたら支払いに応じる」「契約者の過失責任を厳しく問う」などという内容があったらしい。そして訴訟に発展しそうになるものはソッコーで保険金を支払って和解に持ち込むそうな。さらに不払いは、大企業の従業員対象の団体保険ではほとんどなく、個人契約者に集中していると。なんと卑怯極まりない保険会社でしょう。

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ジョン・レノンのトリビュートアルバム発売

 今朝のめざましテレビでJohn Lennonのトリビュートアルバム「Happy Birthday,John」が9月30日に発売するとの情報が。参加ミュージシャンは以下の通り。

・Dreams Come True「Beautiful Boy」
・椎名林檎「Yer Blues」
・高野寛「In My Life」
・Acid Test「Mother」(Mr.ChildrenのVo.桜井和寿 G.田原健一 P.小林武史のユニット)
・槇原敬之「Happy Christmas」
・奥田民生「Hey Bulldog」
・Puffy「Lucy In The Sky With Diamond」
・100s「Oh My Love」
・宮沢和史「God」
・忌野清志郎&仲井戸麗市「Don't Let Me Down」
・Bonnie Pink「Revolution」
・SAKURA「Woman」
・ナカコウ(exスーパーカー)「Tomorrow Never Knows」
・フジファブリック「未定」

 さらに「ジョン・レノン~ワーキング・クラス・ヒーロー~」という2枚組みベスト版(38曲、全曲デジタル・リマスタリング、3,500円)が9月30日に発売されるらしい。こっちもまた楽しみです~。

 そして、9月21日にはMr.Childrenのニューアルバム「I ♥ U」が発売されます。これまた楽しみ。収録曲は以下の通り。

01.Worlds end
02.Monster
03.未来
04.僕らの音
05.and I love you
06.靴ひも
07.CANDY
08.ランニングハイ
09.Sign
10.Door
11.跳べ
12.隔たり
13.潜水

 週明け、20日には店に並ぶので、さっそく買ってしまおうと思っております。

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 治承4(1180)年9月15日
 
 武田太郎信義、一條次郎忠頼ら、信濃国の平家党を討ち平らげ、去る夜、甲斐国に帰り、逸見山に宿陣した。そこに今日、北条時政が到着した。頼朝の仰せの旨を甲斐源氏の諸氏に伝えた。

 9月8日に安房を出発した北条時政は、今日、甲斐国の武田信義の陣所に到着した。ずいぶん時間がかかっているが、途中の上総、下総、武蔵は平家の息がかかった豪族が多い国。慎重に動いたのだろう。

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■大河ドラマ 義経 雑感■

 治承4(1180)年9月14日

 下総国千田庄の領家判官代・藤原親政は、平忠盛(清盛の父)の聟である。平相国清盛禅閤とは義兄弟であり、平家方の下総目代が常胤の軍勢に討たれたことを聞いた親政は、軍勢を率いて常胤を襲おうと千葉庄になだれ込んだが、常胤の孫で留守を守っていた千葉小太郎成胤と戦いとなり、生け捕りにされた。

 親政と常胤は領地をめぐってその父の代からの宿敵です。しかも親政は清盛と義兄弟、彼の従兄姉の二条院内侍は清盛の長男・平重盛の妻になり、平維盛、平資盛を産んでいるので、平家とは二重の縁で結ばれています。そんな平家党の親政が、目代を討たれたことを聞いてカンカンに怒ったのでしょう。常胤の爺め! と勢い込んで千葉に雪崩れ込んだようです。しかしここで武勇あふれる常胤の孫・千葉小太郎成胤が待ち構えていて、激戦の末に捕まってしまいました。

 そういえば、この『吾妻鏡』と同時代の話を扱っているのが、大河ドラマ「義経」なのですが、このドラマ、個人的には完全に期待ハズレです。源義経に仮託にした単なる人間ドラマとして見れば面白いのでしょうが、どうせならば『吾妻鏡』『平家物語』や『義経記』などの古典・物語も参考にして、あまりに空想的なものは削り、もう少し史実といわれるものや一般的に知られている事柄を取り入れて、ふくらみのある物語にして欲しかったですね。空想が強すぎてまるでダメです。多少は期待していただけに残念感は大きく、今はまったく見ません。

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■自動車保険の一括見積もり!■

そろそろ自動車保険の切り替え時期なのです。

何を隠そう、ワタシはGOLD免許、免許を取ってこの方公式には無事故無違反、20等級です。ただ、保険会社で見積もったのですが、やはり高いです~。

ココのサイトで保険会社一括見積もりができます。
http://www.bang.co.jp/

メールで見積もりがまず来るのですが、その後、郵送でくわし~~見積もり&案内が来ます。保険会社によって書いてある項目や言い回しがびみょ~に異なるので、エクセルなんかで管理して比較検討するのがベストか…と、いまエクセルで一生懸命検討しております。

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治承4(1180)年9月13日

 頼朝一行は安房国を出て、上総国に向かわれた。随う精兵は三百余騎。しかし、上総介八郎広常は軍勢を集めるのに手間取り、まだ頼朝のもとに参着していない。

 今日、千葉介常胤が子息、一族を率いて、頼朝のもとに出立しようとした。このとき六男の胤頼は、
「当国の目代は平家方です。我ら一族がことごとく源家に参向すれば、必ず兵を挙げて襲ってくるでしょう。まずは下総目代を討つべきです」
と主張したため、常胤も早々に国府に向かい、目代を討てと胤頼と孫の成胤に命じた。胤頼・成胤は兵を率いて市川国府に急行し、目代屋敷を強襲した。しかし目代は数多くの兵を抱え込んで防戦したためになかなか屋敷を攻め落とすことができない。このとき、北風がしきりと吹いていたため、成胤は郎党を屋敷の裏側に回して放火した。屋敷は炎を上げて燃え上がり混乱の中、目代の郎党たちは防戦を忘れて逃げ惑った。そして屋敷を脱出しようとした目代を、胤頼が踊りかかってその首級を挙げた。

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■秋風と青空と三国志

fuusha.jpg 今朝は涼しかったです。いつのまにやら秋の気配です。まだ日差しは強いですが、日陰に入ると心地よい感じ。駅に着いたら汗だくになる真夏の気配はすでにありません。

 建物の影もひところよりだいぶ長く伸びてきました。それから空が高いです。約千八百年前の中国は『三国志』の時代、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明が秋の風が吹き始めた五丈原の戦陣で病に倒れました。孔明は臨終の間際、空を仰ぎ見て「あの蒼空の極みはいずこにあらんや」とつぶやいたといいます。ただ、孔明が言った「蒼空」とは、「戦争のない世」のこととされていますが。

 そんなコトを考えつつ、気持ちイイ朝の空気を感じながら、今日も会社へ向かいました。

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 治承4(1180)年9月12日
 
 頼朝は神田を洲崎宮に寄進された。御寄進状が今日、洲崎社に進呈された。

 頼朝は先日の約束どおり、和田義盛、安達盛長が上総介八郎広常と千葉介常胤のもとから無事に帰参したことによる御礼である。

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■選挙&大雨■

 関東地方はスゴイ雨でした。

 朝、いい天気! よし今日はシーツを洗うぞ~! と勢い込んで洗濯をしました。シーツが洗いあがってベランダに干し、先週から借りていたレンタルDVDを返しにビデオ屋へ。その近くにあるレストランで昼飯、いったん帰って選挙へ出かけました。

 わが家の投票場は裏山の上に建つ小さな集会所なのですが、結構人が歩いていました。やっぱり今回の選挙は関心が高いようです。パパパっと選挙をこなし、天気がよかったのでハム蔵のエサと床材を買いに、数キロ先のペット屋まで歩いきました。途中、焼き立てパン屋があったので、そこで紅茶食パンを購入! ここのパン屋は以前から知っていたのですが、売切れ御免で閉まってしまうので、いつも行けずにいました。今日は3時過ぎごろに行ったら、もうすでに商品が少なく閉店直前。ふぅ、危ない危ない。

 ペット屋でハムグッズを購入して、そのまままた数キロ先の古本屋まで散歩です。しかし、その頃には雲が空一面に広がっていました。そんなことは大して気にも留めずにテクテクと歩いていたのですが、ポコポコと頭にデカイ雨粒が当たりだしました……これはイカンのではないか?? ベランダに干した一張羅のシーツが濡れてしまうのではないか?? 

 嫌な予感を感じて、古本屋コースを転じて家直通コースに変更! 両手に荷物を抱えて大振りになる直前に何とか家までたどり着き、慌ててシーツを取り込んだその瞬間、ドーーーーッと大雨が降り出しました。 あ~~あぶない。。。あと1分遅かったらアウトでしたね。

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■選挙の日■

 今日は選挙の日。

 自慢じゃありませんが、20歳からこの方、選挙は地元の議員選から衆参院選まで大小全部の選挙に投票しております。選挙にかかるお金で換算すると、一票何千円も払っていることになるんです。タダに見えて全然タダじゃないんだと。どうせなら清き(?)一票を清浄なるジュラルミンの箱に放りこんでみようじゃありませんか。

紅茶 選挙とは関係ありませんが、ららぽーと内「レシピエ(ルピシアに名前が変わった)」という紅茶専門店で、紅茶とハチミツを買うてきました。このレシピアには一風変わった茶葉を置いてあって、ららぽーとに行った際にはいつも寄っているのですが、ハチミツコーナーに「白桃烏龍(ウーロン茶ベースの白桃フレーバー)」「トキオ(緑茶ベースのベリー系フレーバー)」「ミント緑茶(緑茶ベースのミントフレーバー)」というはじめて見るティーハニーを発見。ウーロン茶とか緑茶とハチミツはあうのか!? 疑問に思いつつも興味本位で一番無難そうな「ミント緑茶」を購入。お茶はブロークンタイプの「5202 ブレックファスト・アールグレイ」を購入。この強烈な匂いがたまりません。

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 治承4(1180)年9月11日

 武衛(頼朝)は今日、安房国丸御厨を巡見された。土地の住人、丸信俊が案内者として御共した。ここ丸御厨は、源家の祖・伊予守源頼義が東北を平定された前九年の役の功績として朝廷より与えられた場所である。その後、左馬頭源義朝が父・左衛門尉源為義から譲られた由緒の地である。武衛も平治元(1159)年6月1日、昇進を祈ってこの地で伊勢神宮に祈願されると、6月28日、蔵人に補された。その懐かしさと以来二十年の出来事を思い、涙を流された。「御厨」は伊勢神宮の御領を指す。御厨には天照大神の威光が及ぶのであろう。源家再興に何の障害もなくなると、安房国内に新御厨を立てて新たに寄進する旨の願書を自らしたためた。

 頼朝は平治元(1159)年6月1日、12歳の頃、安房国にいたようだ。その頃、幼馴染の安西景益とも遊んでいたのだろう。しかし、その半年後には平治の乱が勃発。頼朝は京都で父・源義朝や、兄の源義平、源朝長たちとともに平清盛の軍と戦い敗れ、平家に捕らえられて処刑されそうになるところを、清盛の義母・池禅尼に救われ、伊豆に流される。結果として、頼朝は伊豆の豪族・北条氏と結んで平家に対して挙兵することになる。

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■大道芸人のパフォーマンスを見ました~in lalaport~■

大道芸人 今日は、電車ではるばる船橋市のららぽーとへ行ってきました。ららぽーとのある南船橋駅は、都内から行くといちいち西船駅で乗換えしなくてはならず、アクセスは悪いです。

 そんなこんなでららぽーとに着きましたが、夏物セールもすでに終わり、秋物が並んでいます。季節はすっかり秋です。店内も全体的にオレンジです。

 とりあえずお腹が減っていたので、ららぽーと1階にある行きつけの地鶏屋へ。ここの地鶏屋はとてもうまいのです。いつもは地鶏炒飯なのですが、今日は気分を変えて「きじ焼とろろ丼」を発注! ん~~、やっぱりうまい。ららぽーとにはフードコートもあるし、五右衛門(スパandにんにく)、アフタヌーンティーなんかもあって、食事には困りません。

 腹もいっぱいになったところで、今度はハムスターを見に、屋上にある「ぺっとエコ横浜」へ。ペット屋の横にはフットサルのコートや、ミニドッグランも併設されていて、なかなか開放的です。

 その後、南船橋駅に行くためにセンターコートを歩いていると、前方に人だかりを発見。ふと見ると、大道芸人・ジェン氏のパフォーマンスが。パイプイスを重ねて逆立ち、そして火のついた棒を回すワザを披露していました。ん~、こりゃスゴイ。以前、大道芸人のパフォーマンスを見ていたら「そこのおにーさん来て」と呼ばれてアシスタントをやらされた苦い経験があるので、隠れながら見ていましたが、すごいですね

 そして、たくさんの買い物した荷物を抱えて帰ってきました。今日もなかなか充実した土曜日でした。

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治承5(1180)年9月10日

 甲斐国の源氏、武田信義・一條忠頼らは石橋山の合戦の事を聞き、頼朝を訪ねるために駿河国へ出陣しようとしたが、平家に加担する者が信濃国にある知らせを受けて、まず信濃国へ出兵した。そして、去る夜、諏訪上宮庵沢の辺りに宿陣したが、深更になって若い女が一人、申すべきことがあると一條忠頼の陣に来た。忠頼は女を怪しみながらも、炉辺に招いて謁見した。女は「私は諏訪上宮大祝篤光の妻です。夫の使いとして参上しました。夫が申すには、源家のための御祈祷を行っていたため社頭に参籠し、三日の間、屋敷に戻らなかったのだが、その夜の夢に、梶葉文の直垂を着て、葦毛の馬にまたがった勇士一騎が源氏の方人と称して西を指して鞭を揚げた姿を見た。これはきっと諏訪大明神の神示に違いない」と言う。忠頼はもとより信仰心の篤い男であった。喜んだ忠頼は彼女に剣一腰と腹巻一領を贈った。

 忠頼はこのお告げを聞いてすぐさま出陣。平家に加担していた管冠者を伊那郡大田切郷に襲った。管冠者は忠頼の急襲に驚き慌て、戦う前から館に火を放って自害した。その後、根上河原に陣を張った武田信義、一條忠頼らは諏訪大明神の神罰によるものであると、諏訪上宮に平出郷・宮所郷の二郷を、下宮には龍市郷一郷のみをそれぞれ寄進した。しかし、その目録を書いた者は、下宮分として誤ってさらに岡仁谷郷を書き加えてしまった。しかし、この郷名は誰も知らず、書き間違いを再三にわたって改めさせたが、なぜかその者は下宮分として「龍市郷、岡仁谷郷」の両郷を書いてしまう。そのため信義・忠頼らはやむなくその旨のままにしたが、古老に事の次第を尋ねたところ、「岡仁谷という郷は存在する」という。信義・忠頼は得たりと手を打った。これは諏訪上下宮は優劣の差はないという深慮であると。信義・忠頼の信仰心はますます強くなり、両宮に礼拝して帰途に着いた。


 ここに登場した武田信義は甲斐武田家の祖とも言うべき人物で、甲斐源氏の棟梁である。一條忠頼はその長男。ともに武勇にあふれた人物で、のちに頼朝の御家人として活躍するが、甲斐源氏の勢力を恐れた頼朝によって一條忠頼は殺害され、信義は不信の人として遠ざけられてしまう。しかし子孫は甲斐、若狭、安芸の守護職となって大いに繁栄し、甲斐守護の家からは武田晴信(武田信玄)が生まれる。

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『吾妻鏡』

治承5(1180)年9月9日

 頼朝の使者として千葉介常胤に対面した安達盛長が千葉から帰参した。盛長は、
「それがしが千葉邸へ赴くと、常胤自ら門前に出迎え、客亭に案内されました。常胤は彼の座に座り、子息の千葉胤正、千葉胤頼がその傍らに座ってそれがしと対しました。それがしは武衛(頼朝)の御言葉をつぶさにお伝えいたしましたが、常胤は目をつぶって眠るが如くで、その後もしばらく無言でした。すると傍らに座っていた子息の胤正・胤頼が、『武衛は源家の跡を興し、狼戻をお鎮めなさろうとされている。その最初の召しに預かり、なんで直ちに参上すると即答されないのか。早々にお受けいたすとお答えすべきでござろう』と申しました。しかし、実は常胤も参上の心に異存はなく、亡き頭殿(頼朝の父・義朝)が殺害されて滅んだ源家を再興されようというお心に感涙のあまり言葉が出なかったとのことでした。

 このあと、酒宴があり、常胤は今武衛が居られるところは要害の地ではござらぬ。また、特に源家の旧跡というわけでもない。すみやかに源家由緒の相模国鎌倉にお出でなされるようにと申していました。常胤は一族郎党を相率いて、御迎えの為に参向致すとの申しておりました」と頼朝に報告した。


 いよいよ常胤率いる千葉一族始動です。しかし、千葉家の勢力は房総平氏惣領家・上総権介家のそれと比べるとおよそ六十分の一(『吾妻鏡』による)。本来は房総平氏の嫡流とはいえ、惣領家を継いでいなかった千葉家は、房総平氏の一有力支族という立場に過ぎませんでした。常胤が頼朝に加担した理由は父・義朝の郎党であったことの他に、平家一門の下総国司・藤原氏と敵対していたこともあるのかもしれません。

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■梨ってうまいなぁ~ シャリシャリ

なし管理人は梨が大好きです。

 絶妙な歯ごたえとみずみずしさがたまりません。特に幸水が好きなのですが、時期的には豊水になっていますね。豊水も二十世紀ももちろん好きですが。もはや梨ならなんでもいいんですね、きっと

 二十世紀梨は鳥取が名産地として知られていますが、実際は千葉県松戸市が発祥地なのをご存知でしょうか。千松戸にお住まいの、その名も松戸さんがたまたま発見した一本の梨の細木。松戸氏がこれを持ち帰って育て、十年後実をつけた。これが二十世紀梨となります。

 実は幸水、豊水、新高といった有名な梨たちは、この二十世紀梨が先祖になっている交配種です。妬けつくほど甘くて柔らかい幸水、適度な甘みと硬さとスッパさがある豊水、ちょいと固めの新高。そしてちょっと青臭さも残って酸っぱいがさっぱりした甘みの二十世紀梨。青臭さが「原種」って感じがしますね。

 梨といえば、市川市には梨園がたくさんあります。梨狩りもできる大きな梨園がいっぱいで、だいたいみんな「大○園」と名前がついています。ただ、それら「大○園」の中でも、一風変わった「大慶園」。これは梨園ではなく、巨大なゲーセンです。カラオケ、バッティング、ストラックアウト、卓球、カート、TVゲーム…と色々な施設がある総合アミューズです。10年ほど前までは毎日のように通っていました・・・懐かしい場所です。

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治承5(1180)年9月8日

頼朝の舅・北条時政は頼朝の使者として甲斐国(山梨県)に進発した。
「甲斐源氏一党(逸見氏、武田氏、安田氏ら)は、人々を率いて信濃国へ至り、帰参するものは軍勢に加え、帰参を拒む者は討つべし」

という頼朝の「厳命」という形で、上総国から甲斐国へ派遣された。

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■あの頃を思い出す歌ってあります?■

夕焼け「あなただけを~Summer Heart Break~」

 ふと、帰り道で聞いていたラジオからサザンの懐かしのメロディーが流れてきました。そういや、これ聞いてたのは10年前、大学生活もまだ前半のころでした。

 同じ頃、よく聴いていた曲…Hello,Again、【es】、サンキュ。、ロビンソン、愛のために、浪漫飛行、君がいたから、この愛に泳ぎ疲れても…

 こんなのを聞きながら、友人たちと夜な夜な外出しては、幕張の海に行ったり、カラオケに行ったり、ビリヤードしたり、近所の巨大アミューズにゴーカートしに行ったり…よく遊んでいましたね。あーでもないこーでもないとしゃべってた頃が、耳から入ってくるわずか数分の音楽で一瞬にしてよみがえります。情景までリアルに出てきます。

 しかし、次の瞬間、最近の曲が流れて現実に引き戻されました。おぉ、今日は2005年9月7日。10年前のフラッシュバックは一瞬で消えました。この10年で管理人の周辺もいろんなことが変わりました。10年前は想像もしていなかった環境が今ここにあります。面白いもんです。

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治承5(1180)年9月7日

 木曽冠者義仲は、頼朝の叔父・源義賢の次男である。頼朝との従弟にあたる。義仲の父・義賢は、去る久寿2(1155)年8月、武蔵国大倉館にいたところを、頼朝の異母兄・源義平に攻められて討死した。このとき、義仲は数え三歳の幼児であった。乳母夫の中原兼遠が幼い義仲を抱いて、信濃国木曽に逃れて養育した。
 義仲はここ木曽で成人したが、武略にあふれ、平家一門を倒し、源家を再興する志を持っていた。しかし頼朝がすでに挙兵して、伊豆の石橋山で平家と合戦を始めたことを聞き、自分も兵を挙げて源家再興の志を遂げんとした。
 このとき、信州には平家方の笠原頼直という者がいた。今日、頼直は木曽に攻め入ろうと兵を集めたが、義仲に味方する村山義直、栗田寺の別当大法師範覚らが頼直を防ぐため挙兵。信濃国市原で合戦となった。しかし、村山義直は矢が尽きて姿を消した。急使を義仲のもとに遣わして戦況を伝えた。これを聞いた義仲はただちに旗下の大軍を率いて挙兵。笠原頼直はその威勢を恐れて逃亡し、越後国の平家党・城長茂のもとに逃れていった。


 木曽義仲の登場ですね。木曽義仲は頼朝とは従兄弟同士に当たる、きわめて血縁の近い人物です。しかし従兄弟とはいえ、頼朝は京都で生まれ育ったのに対し、義仲は幼い時分に父(母もか)を殺され、信州の山奥で育ったわけで、面識は一度もありませんでした。義経にしても、黄瀬川の陣に頼朝を訪ねて対面したのが兄弟初対面だったわけで、面識のない従兄弟など他人です。しかし、両者ともに、源氏の嫡流であるという自負が強く、このことから、両者は互いに受け入れることなく、戦いの渦に飲み込まれていきます。

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★韓国料理屋へ行く★

カジリ
 今日は会社の飲み会で韓国料理屋へ。実は管理人は韓国料理屋に行くのははじめてです。

 すこし遅刻しつつもいざ行ってみると、店にはえもいわれぬ香りが充満。それほど腹が減っていないと思っていた管理人でしたが、実は腹が減りすぎていたらしい。ぐぅ~~。

 出てきた料理の名前もわからぬまま、ひたすら食べましたが、ニンニクすき焼きをジュージュー焼き、イカ入りキムチ、キムチ風春雨、薄いお好み焼き、タコサラダ唐辛子風味…、こんな感じのものを食べました。いや、うまかったです! しかし辛かったですね。そしてニンニク臭くなりました。いまこの日記を書いている時点でもなんかニンニクの臭いが鼻に残っています。

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治承5(1180)年9月6日

 晩になって、上総介八郎広常のもとから、和田義盛が戻ってきた。広常が言うには、頼朝の陣には同族の千葉介常胤と相談の上、参上する旨を申したと言う。

 いよいよ『吾妻鏡』に千葉氏、上総氏の名が登場してきた。千葉氏は下総国(千葉県北部)の高級在庁官人。また、上総介八郎広常は、上総国(千葉県中部)を実質的な最高権力者・上総権介常茂の弟だった。そして、この両名は、頼朝の父さん・源義朝の郎党だった人物なのだ。頼朝がすがった気持ちもわかる。
 しかしこの当時、千葉介常胤は下総国司・藤原氏(平家の一門)に服従していた。また、上総広常の兄・上総権介常茂は平家党(このとき上京中)。もしもこの二人が平家に味方したら、頼朝率いる数十騎は一瞬で消滅する。しかし、房総半島を押さえなければこれ以上進むこともできない。もはや頼朝は進むしかなかったのだ。

★HP更新日記3★
 正親町三條家の諸大夫だった千葉家を追加。この千葉家は、江戸時代後期に正親町三條家に仕官した家柄で、近江国志賀郡和邇村(滋賀県滋賀郡志賀町)が発祥地ということくらいしかわからない。幕末の千葉美濃守洪胤は明治時代になって、嵯峨家(正親町三條家改め)の家扶(二等官)について、嵯峨家の家政を取り仕切った。

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■一週間も!!

武田神社 わが家のアイドル・ジャンハムのハム蔵は一週間、風呂に入っていなかったことが発覚。風呂といっても砂風呂なのですが、湯船の中に体洗い用の砂を入れ忘れていました。いや、どうもすみませんハム蔵さん。道理で最近毛並みがおかしいと思いました。

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治承5(1180)年9月5日

 頼朝は安房の洲崎明神を参拝した。戦勝を祈願し、上総介広常、千葉介常胤のもとに派遣した和田義盛、安達盛長らが無事に帰参すれば、洲崎明神に神田を寄進する旨の御願書を奉納した。

 洲崎明神はいまでも千葉県館山市洲崎にあり、安房一宮として尊崇を集める神社だ。館山かぁ…まだ夏の雰囲気のあるうちに海沿いの道を車で走りたいなぁ。まぁ別に館山でなくてもイイので、海沿いの道、銚子の君ヶ浜ラインあたりを久しぶりに走ってみたいなぁと、この日記を書きながら妄想なんかしたりしている。

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とんかつ かつ波奈

tonkatu 今日はとんかつ屋「かつ波奈」に晩飯を食べに行ってきました。今日は感謝デーということで、外まで人があふれる状態。ベルを渡されて待つことに。……待つことニ、三十分、ベルに呼ばれて店に戻り着席! ヒレカツ定食(大)を注文しました。あらかじめ、すり鉢に入った炒りゴマが持って来られ、これをすりつぶしたものと特製ソースをまぜまぜしてトンカツにかけるわけです。

 ここのヒレカツは大変うまいです。肉が本当に柔らかい。味噌汁も豚汁かめかぶ汁かで選べます。もちろんご飯とキャベツはお代わり自由です。で、今日もお腹いっぱいです。そういえばここ最近、食べ物ネタしか書いていませんね。

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治承5(1180)年9月4日

 安西景益が頼朝から手紙の指示に従って、一族と安房在庁官人三人を率いて、頼朝が宿泊していた民家に参上した。 景益が申すには、
「このまま広常のもとを訪れるのは少々無用心かもしれません。長狭常伴のような連中がどこにいるかもわかりません。まず広常に出迎えの為に参上すべしとの手紙を送るべきでしょう」
ということだった。

 頼朝もこの幼馴染の景益の言うことに従って、民家を発したのち景益の屋敷の方へ戻った。そして改めて和田義盛(三浦義澄の従兄弟)を広常のもとに遣わし、乳母夫の安達盛長を千葉介常胤のもとに遣わして、それぞれ味方につくよう指示した。


 前日に敵に襲われそうになり、味方の三浦義澄の機転で間一髪助かった頼朝は、改めて四面楚歌の事実をまざまざと感じたのだろう。いったん幼馴染の家に戻り、父・源義朝の郎党になっていた上総広常と千葉介常胤の両名に対しても、とりあえず味方につくよう使者を送っている。実は、石橋山で頼朝を討った大庭景親も、もともとは父・源義朝の郎党だった人物。さらに源義朝をだまし討ちした長田忠致も義朝の郎党だったのだ。頼朝は猜疑心が強かったと言われているが、こんな生い立ちが関係しているのかもしれない。

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コック長タムラのおすすめ

カレー 松戸駅前のバンダイミュージアムに行ってきました。

 ここには懐かしのガンダムの等身大モデルが置いてあります(上半身だけですが)。先日、ガンダムの最終回を見て、つい行きたくなってしまいました。

 実はここにある「GUNDAM CAFE」は隠れた名店です。メニューにある料理の名前もガンダムにまつわる名前に仕上がっています。「シャア専用ズゴックのパスタセット」「シャア専用ザクパフェ」…カクテルも「赤い彗星(クランベリーリキュール、巨峰リキュール、レモン)」「黒い三連星(ホットカクテル)」「アスラン・ザラ(ブルーキュラソーとライム)」などなど、よく考えたもんだと感心してしまいます。

 管理人はここで「コック長タムラのおすすめビーフカレー」を注文。以前、友人夫婦と四人で来たことがあり、この時はスパを注文したのですが、これもおいしくて、今回も期待して待っていると、来ました。おぉ、けっこう量もあってイイ匂い。上品に別の器に入れられたカレーをごはんにかけてパクッ。ん~! うまい! 適度な甘さと辛さ。しかもご飯の上に盛られた牛肉がやわらかく、これまた贅沢に二枚重ねられていました。芋も適度にホクホクでコリャいけます!

 満腹になってバンダイミュージアムを後にしたのでした。帰りに松戸の伊勢丹に寄って、地下の洋菓子屋・アンテノールでバナナクリームが入った…表現が難しいのだが、バナナクリームあげパンといった感じの細長ケーキを四本買って帰宅しました。

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治承5(1180)年9月3日

 石橋山の戦いで源頼朝を打ち破った平家方の大将・大庭景親は、もともと源家譜代の御家人でありながら、今回、所々で源家に敵対した。しかし、景親に加担したものは武蔵国、相模国の者ばかりで、さらにそのうち、有力な氏族の三浦氏、中村氏は今我らとともにある。景親の謀叛などなんてことはない。頼朝は手紙を下野国の大豪族・小山四郎朝政と下総国の下河辺行平、豊島清元・葛西清重父子に遣わしされた。手紙は、各々志ある者を語らって私のもとに参陣するようにという内容である。特に葛西清重に対しては、源家への忠節を大切に感じている者として特に慇懃に扱い、彼が住む葛西庄が平家方の江戸氏と河越氏の領地のちょうど真ん中に挟まれていて危険なため、早々に海路で参陣するようにと手紙にしたためられた。また、頼朝は綿衣を調進すべきの旨を、豊島朝経の妻に仰せられた。 朝経は在京して留守であったため、妻女に指示されたものだった。

 今日、頼朝は安房国平北郡から上総広常の居所へ向けて出立したが、途中で夜になったため、道筋の民家に一晩の宿を申し込んだ。しかしこのとき安房の住人で平家に加担する長狭常伴が兵を率いて後をつけてきていて、民家を襲おうと狙っていた。一方、頼朝の側にあって道案内をしていた三浦義澄はひそかに長狭常伴の策略を見抜いており、逆に常伴一行に襲い掛かって、常伴を追い払った。


 うまく石橋山から逃れ、小舟で相模灘を押し渡って九死に一生を得た頼朝一行は、房総半島に来てもどこから敵に襲われるかわからない、寝床まで敵が襲ってくる状況だったわけです。まさに四面楚歌。胃に穴が開いちゃいますね。そんな中でも、味方になりそうな人々にせっせと手紙を出す根性はすばらしい。絶対に負けるもんか! 諦めるもんか! という心が見えます(本当にこうした行動をしていたのかは吾妻鏡の性格からして確実ではありません)。

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ラーメン屋

 夜はちょっと足をのばして、ネットで「うまい」と評判の「ラーメンひがし」に行ってみました。

 以前にも一度行った事のある店で、住宅街の中にあるこじんまりとした非常に目立たない店構え。しかし、ここのラーメンはうまい。大通りにも面さず、快速も止まらない駅、さらにまったく宣伝をしない普通のラーメン屋のため、行列ができることはありませんが、常連さんは非常に多いようです。

 行くのが夜のためか、店はオヤジさんが1人でやっています。具志堅用高をちょっと痩せさせてヒゲを取ったイメージのオヤジさんで、テーブルに着くと、カウンターからわざわざ出てきて、入口近くの水を汲んで持ってきてくれます。「ハイヨッ!」「オマチドッ!」。う~ん、威勢がいい。

 ラーメンは太麺。スープは非常にさっぱりしていて、店内と同じく飾り気のない味です。今回はチャーハン大盛りを注文しましたが、美味しい。餃子は大変じゅ~し~。肉汁が滴るアツアツ餃子です。ただ、皮がカリカリ風が好きな管理人としては、ちょっと皮がやわらかいのがオシイところでした。金曜夜、店内の小さなテレビで「ぐるナイ」を見ながら、晩飯を堪能したわけです。

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治承5(1180)年9月2日

 頼朝の御台所・北条政子は、かくまわれていた伊豆山(今の伊豆神社)を降りて、秋戸郷(熱海市内)に移った。まだ政子は頼朝が伊豆から無事に逃れていることを知らず、ひとり涙を流していたところ、午後4時ごろ、土肥遠平(頼朝の供をして安房に渡った土肥実平の長男)が御使いとして、真鶴岬から政子のもとに到着した。
 遠平は政子に、石橋山の敗戦後、頼朝は真鶴岬から房総半島へ舟で逃れたことを伝えたが、遠平も船出のあとの事はもちろんわからない。政子も頼朝が無事に逃れた得たことと、出航後の頼朝の事が気がかりで、悲喜こもごもの様子であった。


 いま、地図を開いて見てみても、土肥の真鶴岬(土肥実平の領地があった)から房総半島まではかなり距離を感じる。しかも舟は土肥実平が家来の「貞恒」に命じてやっとこさ見つけてきた「小舟」である。遠平は政子に小舟で船出したこともきっと伝えたのだろう。う~ん、そりゃ、心配しちゃいますね。

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