FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

■霧

kiri 今日はすごい霧です。雪が降った時もこんな感じの明るい朝だった気がしますね。これが土曜日だったら、手賀沼や利根川なんかにすっとんで行って、霧の写真を撮るのですが、今日は金曜日。残念!

 でも実際、霧の中を歩いて駅に向かうのは好きではありません。私は結構クセ毛のため、スーパーハードムースでガッチリ固めても、この霧の湿気には敵いません。湿気がムースを溶かし、乾くとムースも乾いて、クセ毛のままムースがキめてくれます。

 小学校の頃まではストレートで世話ない髪だったはずなのですが、中学で丸坊主にしてからクセ毛がはじまりました。その中学はいまは丸刈りにしなくて良いのですが、私のころは中学=丸刈り当然でした。その後遺症が今になっても続いているのです。恨むべし丸刈り令。

治承4(1180)年10月26日
 
 大庭平太景義は、頼朝から囚人の河村三郎義秀を斬首すべしとの命を受けた。また、今日、片瀬川辺で、大庭三郎景親の斬首が行われ、景親の首が晒された。弟の俣野五郎景久は捕らわれることなく平家のもとへ逃れ、密かに上洛した。

治承4(1180)年10月27日

 頼朝は佐竹冠者秀義を追討するため常陸国に出兵した。今日はあまり良くない日取りで人々が留めたが、頼朝は、4月27日に以仁王殿下の令旨が到着し、東国を領掌すべしとの旨をいただいているので、日頃の吉兆は問わず、27日に出兵すべきとした。
スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■健診にいってきた

 今日は健診日。ちょっと早めに健診会場へ向かいます。最寄り駅についてもまだ時間があったので、ちょっと本屋で立ち読みをしていたら夢中になってしまって、いつのまにか受付時間にっ! 急げ急げ!!

 走りましたね。少し風邪ひいてるのに。朝ごはんも食ってないのに。

 ところが。健保の建物がある場所は道が碁盤目で似ているせいか、間違えて別の健保会館へ入ってしまいました! 中身が一目見て違うことがわかったので、すぐ出てきましたが。

 みるみる迫る受付時間! やっと目的の健保会館を探し当て、少しだけ遅れたもののなんとか間に合いまいた。しかし当然ながら、健診順番はほぼビリ。あぁ、あんなに早く出たのに。

 健診が終わり、会社にある自販機でジュースを買って今日初めての水分をとります(実は健診は昼ごはんとってからでOKだったのですが、なぜか朝から何もとってはダメというふうに誤解してました。。。)。このジュース、ぶどうジュースなのですが、かなりうまかった! 伊藤園のぶどうジュース、130円。濃厚でほどよい酸味。これは久々のヒットジュースです。
ju-su

テーマ : ■今日の独り言■
ジャンル : 日記

■風邪2

 風邪が治りません。ランニングノーズがノンスップアクションです。

 と、そんなこんなしてる間に、27日は健康診断がひかえています。風邪ひいてて健康でもないのに健康診断もないだろう、なんて思いつつ、普段の風邪ではほとんど飲まない風邪薬をせっせと飲んで、健康診断に備えます。

 会社から宿題を持ち帰ってきたのですが、だるくてやる気が起こりません。ということで今日も早寝することにしました。
 

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■風邪

 風邪をひきました。

 季節の変わり目に髪の毛を切ったのがいけなかったのか、鼻水がとまりません。まさに滝です。

 もう頭がぼーっとして何もできず、今日は早めに寝ることにします。そういえば、ハムスターは風邪をひかないのでしょうか? ウチのハムスターは風邪っぽい鼻水を出しているシーンがありません。

 治承4(1180)年10月23日

 頼朝は相模国府に到着し、ここではじめてこれまでの論功行賞を行った。北条四郎時政、武田太郎信義、安田三郎義定、千葉介常胤、三浦次郎義澄、上総権介広常、和田小太郎義盛、土肥次郎実平、安達藤九郎盛長、土屋三郎宗遠、岡崎四郎義実、狩野五郎親光、佐々木太郎定綱、佐々木次郎経高、佐々木三郎盛綱、佐々木四郎高綱、工藤庄司景光、天野藤内遠景、大庭平太景義、宇佐美三郎祐茂、市川別当行房、加藤景員入道、宇佐美平次実政、大見平次家秀、飯田五郎家義らが恩賞を受け、本領安堵や新恩に与った。また、三浦次郎義澄を三浦介とした。下河辺行平は元のとおり下総国下河辺庄司とした。
 10月18日の合戦で敗れて山野を彷徨っていた大庭三郎景親が本日、降伏してきた。石橋山の戦いで頼朝を徹底的に追討した平家党の大将である。頼朝は上総権介広常に召し預けとした。また、景親とともに降伏してきた長尾新五郎為家、長尾新六定景、河村三郎義秀、山内三郎経俊らはそれぞれ諸士への召し預けとされた。
 長尾新五郎為家は岡崎四郎義実に、その弟・長尾新六定景は三浦介義澄へ、河村三郎義秀は所領の相模国河村郷を召し上げられ、大庭平太景義(景親の実兄)へ、山内三郎経俊は相模国山内庄を召し上げられ、土肥次郎実平へそれぞれ召し預けとされた。そのほか、石橋山の戦いで頼朝に敵対した人物がいく人かいたが、処刑に及ぶ人物は十人に一人ほどであった。


 石橋山の戦いで頼朝を追いつめた大庭三郎景親が今日、降伏してきた。去る10月18日、景親が一千騎を率いて平維盛と合流しようとしたものの、頼朝の大軍に阻まれて山中に逃亡していたのだ。五日間の逃亡のすえ、ついに頼朝の陣に出頭してきた。
 景親の父・大庭庄司景宗は頼朝の父・義朝と大庭御厨をめぐって争い、ついに敗れて降伏し、その子の景義、景親兄弟は義朝の有力な郎党として保元の乱を戦い抜いた経歴を持つ、頼朝とも因縁浅からぬ間柄の人物である。しかし義朝亡き後、源氏に見切りをつけた景親は平家に接近してその与党となり、頼朝を追いつめたのだった。

テーマ : 最近のできごと
ジャンル : 日記

■ゴートゥーバーバー

 ひさしぶりの散髪に行ってきました。実に三ヶ月ぶり。中学一年から通っている実家近所の床屋さんです。ここはカルテがあり、いつもといっしょといえばそんな風に切ってくれちゃうのでサクサク進みます。ここをこう… あそこはこんな感じ… そんなこといちいち言うのはめんどうですね。

 完全予約制で、前日にふと思い出して連絡しました。

トゥルルル トゥルルル…

「はい! 床屋です!」
「もしもし、もっきーですが」
「はい~! こんにちは~」
「明日あいてますか?」
「明日は結構混んでますねぇ。午前中は10:30あいてるだけですねぇ」
「じゃぁ、10:30で!」
「はい~! お待ちしてまーす」

 こんな感じです。とても気さくなおじさんです。というわけで、時折大粒の雨が降る中、床屋へ向かいました。

 でも、今日は午後は雨が止んで晴れるとか、天気予報で言ってたのに、ぜんぜん晴れる気配はありません。…とはいえ、晴れたところで今日はどこにも行く気はありませんが。でも休日にどこにも行かないというのは、結構もったいない気はしますね。

治承4年10月21日

 頼朝は小松少将平維盛を追討するため上洛を諸士に命じた。しかし、千葉介常胤、三浦義澄、上総権介広常はこれを諌めて、「常陸源氏の佐竹太郎義政、佐竹冠者秀義ら佐竹一族は、数百の軍勢を持っていながらいまだに武衛に帰参していません。また、秀義の父・佐竹四郎隆義は平家に属して在京しています。近くには不埒な人々がまだ多いと思われますので、まずは関東の平家党を片付けてからでも遅くはありません」
と陳述した。

 戦いののち、安田三郎義定を遠江国の守護として差し遣わした。さらに武田太郎信義は駿河国に駐屯させた。

 今日、一人の若者が黄瀬川の陣を訪ね、頼朝に拝謁を依頼してきた。対応した土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実はこの若者を怪しんで頼朝への拝謁を拒否した。やむなくその若者は頼朝の陣の外でひたすら待ち続けた。

 その後、頼朝はこの一件を聞き、その若者の年齢を考えると、奥州に逃れていた舎弟の九郎か? 早くここに連れてまいれ、と実平に命じ、実平は頼朝の御前にこの若者を連れてきた。果たして、頼朝が想像したとおり、奥州から下ってきた源九郎義経であった。頼朝と義経は互いにこれまでのことを語り、涙に暮れたという。

 むかし、白河法皇の御世、永保3年9月、我等の曽祖父・陸奥守源義家が奥州で将軍三郎清原武衡、清原四郎家衡らと合戦した際、京都で宮仕えをしていた舎弟の左兵衛尉源義光(甲斐源氏武田氏、常陸源氏佐竹氏らの祖)が義家苦戦のことを聞き、左兵衛尉の官職を辞して密かに奥州へ下向したという。義光は兄の陣に参じると、兄弟ともに清原氏を攻め滅ぼした。頼朝は今日の義経の来陣をこの故事に擬して喜んだ。

 義経は去る平治2年正月に起こった平治の乱で父・義朝が死んだときにはまだ生まれたばかりだった。その後、母・常盤御前が嫁いだ先の一条大蔵卿・藤原長成の世話になり、鞍馬山に稚児として入山した。

 そして成長するとともに源氏再興と平家追討の志を強くしていった。密かに鞍馬山を脱出した義経は、奥州平泉に下って鎮守府将軍・藤原秀衡の世話になり、彼の威を借りて平家追討を目指していたところ、頼朝の挙兵を聞き、秀衡に頼朝のもとでともに平家を倒したいと告げるが、秀衡は義経の身を案じてこれを押し留めた。

 しかし、義経は密かに平泉を脱出。気づいた秀衡もやむなく一族の佐藤継信、佐藤忠信兄弟を義経の護衛として後を追わせた。こうして黄瀬川で頼朝と面会し、ともに平家を倒す誓いを立てた。

 夕刻、頼朝は三島神社に参詣して、所願成就の御礼として神領寄進の寄進状を奉納した。


 義経と頼朝の対面である。このとき頼朝の陣には、義経の実兄・醍醐悪禅師全成(今若丸)がいたので、おそらく義経はこの実兄とも対面を果たしたのだろう。

テーマ : 日常
ジャンル : 日記

■おまつり

お祭り 近所でお祭りがありました。神社のお祭りです。小ぢんまりとした神社ですが、鎮守の杜の木々がトンネルをつくり、いかにも古そうな石畳の参道、古めかしい拝殿で、ちょっといわくありげな感じです。

 参道は幅三メートル弱。そんなところに、氏子さんたちがお店を出しています。裸電球が参道の上にずっと続き、昔の盆踊りを彷彿とさせるイメージでした。地元の子どもやおじさんおばさんがコミュニケーションをはかる場となっているので、ここに引っ越してきたワタシにはちょっと馴染みにくい感じです。

 …盆踊りといえば、かつては盆踊りではみんなお面をつけて踊っていたのだといいます。そして、本来はお面をかぶって踊る人には、たとえそれが知っている人だと分かっても決して声をかけてはいけない、という暗黙のルールがあったようです。その人がお盆で此岸に帰ってきている人の事もあるから。


治承4(1180)年10月20日

 頼朝は駿河国賀島に進軍した。対して、平家方は左近衛少将平維盛、薩摩守平忠度、三河守平知度は富士川の西岸に陣を敷いた。そして、夜半になって、武田太郎信義は平家の陣を背後から襲うため、密かに兵を動かした。するとそのとき、富士沼に集まっていた水鳥たちがその気配に驚き、一斉に飛び立った。その羽音はあたかも軍勢が攻めてきたような響きであり、これに平家陣は慌てふためいた。
 
 この状態を見た平家軍次将・伊藤上総介忠清が維盛らと相談し、東国の兵たちはことごとく頼朝に属して平家に反旗を翻している。このままでは囲まれて帰洛することも難しくなる。急ぎ軍を引き上げ、謀略をめぐらすべきことを述べた。これに維盛らは同調し、明け方を待たずに兵を引いた。

 このとき、頼朝に属していた勇将・飯田五郎家義とその子・飯田太郎らは富士川を渡り、平家の軍勢を追った。このとき、平家方の伊藤武者次郎が返して飯田家義の手勢と交戦し、飯田太郎が討たれた。しかし家義がその伊藤次郎を討ち取った。また、平家方に属していた印東次郎常義(上総権介)も鮫島で討たれた。


 有名なくだり。夜に羽ばたいた羽音に驚いて平家は壊走したといわれているが、これを見る限りでは浮き足立つ我が手勢を見た副将の上総介忠清が、主将の維盛、忠度、知度らと協議して、このままでは不利だという理由で引き上げたことになっている。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■なんてこったい

 寝坊しました。一時間の寝坊です。時計を見てしばらく固まりました。

 ただこうなった以上、騒いだところで時間が戻るわけでもなく、諦めが肝心と、いつも通り出勤の支度をはじめ、駅へ向かう道すがら、会社に電話。

「10時に出社します」

 こんな電話をかけたのは、風邪で参ってしまって病院へ行った以来半年ぶりです。

 今日は一時間遅いため、いつも聞いているラジオが終わってしまっています。音楽を聴きながら行こうかな。曲はMr.Childrenの「PADDLE」。元気が出る一曲です。

 ♪行こうぜ!


治承4(1180)年10月19日

 伊豆国伊東の豪族・伊東次郎祐親法師は、頼朝追討のために京都から下ってきた近衛少将・平維盛の軍と合流するため、船を伊豆国濃名の港に集めて、海路出発しようとしたところ、頼朝旗下の天野藤内遠景が攻め寄せて祐親法師を捕らえた。
 遠景は今日、祐親法師を黄瀬川の頼朝の陣に曳きたてた。このとき、祐親法師の聟だった三浦次郎義澄が頼朝の命によって祐親法師を預かることになった。
 また、同時に捕らえられていた祐親の次男・九郎祐泰については、ずっと以前、頼朝がまだ流人生活を送っていたとき、祐親の娘と恋仲になり、これを知った祐親に殺されそうになった際、祐泰が頼朝にいち早くこのことを伝えて難を逃れた経緯があり、召し出して恩賞を与えようとした。しかし祐泰は、「父・祐親はすでに武衛の怨敵となって捕らえられています。その子がどうして恩賞などもらえましょう。早く解き放っていただきたい。再び平家に組するため上洛いたします」と訴えた。
 その後、甲斐源氏の加々美次郎長清が陣に参着した。長清は兄の秋山太郎光友とともに平知盛に仕えて京都にいたが、八月に京都を出て、途中、美濃国で病のために一か月ほど休養をとった。その後、九月に甲斐国に入ったが、すでに一族はみな出陣したあとだったため、鞭をふるって黄瀬川の陣に参陣した。兄の秋山太郎光朝はまだ京都にいる旨を頼朝に申し上げた。
 秋山光朝、加々美長清兄弟は、頼朝挙兵の報告を聞いてから、関東へ帰ることを望んだものの許されず、老母が病だという口実で帰国を申請するが許されなかった。そのころ、高橋判官盛綱と鷹装束のことで話すことがあり、ついでに老母が病だが帰国が許されないと漏らした。すると、盛綱は持仏堂に向かって手を合わせ、嘆く体で平家ももはやこれまでか。老母が病というのに帰国を許さないのは長清殿をまったく平家の家人として扱っているようである。知盛卿に帰国を請願する書面を送りましょう、と手紙をしたためて知盛へ送った。
 知盛は盛綱の手紙を読むと、その裏に返事をしたためて長清の帰国を許した。しかし、兵乱が起こっているので、用事が済み次第急いで京都に戻るように命じた。


 高橋判官盛綱は平家の家人で、武勇に優れた人物として知られているが、こんな情義のある人物でもあった。のちに義経の実兄・義円法師(乙若丸)が挙兵したとき、寄手の将だった盛綱が義円を討ち取った。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■ハムスターの引越し

ハム蔵 我が家のハム蔵は今日もリビングの片隅から飼い主の生活を見ています。

 ここ最近、ちょっと寒くなってきたので、ハム蔵にも布団をプレゼントしました。ただのティッシュですが、ハム蔵はこれを器用に裂き、ほわほわにして、その中に飛び込んで寝ます。

 今回、ハム蔵の砂浴び用の砂場小屋にティッシュを詰め込み、どんな反応をするのか観察しました。すると、さっそくこの異変に気づいたハム蔵は、砂場小屋のティッシュを夢中で裂きはじめ、お尻をブリブリ振りながら小屋に入り込み、気持ち良さそうに丸くなって寝ました。

 今日、会社から帰ってみると、砂場小屋はもぬけの殻になっていました。ハム蔵は紙布団を小屋から引っ張り出し、ゲージの隅っこに引越しして、ほわほわの布団にくるまって、やっぱり寝ていました。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■ミカン談話■

ミカン 実家のミカンが色づきだしました。去年と違ってたわわに実っています。楽しみですな。ワタクシ、ミカンに結構目がありません。こたつの上、籠に盛った山盛りミカンを剥きながら、テレビを見ます。至福のひとときという感じです。

 ミカンといえば、今日の昼はまたとんかつのうまい店「かつ波奈」に行きましたが、ここでは付け合せのキャベツ用に普通のドレッシングと「夏みかんドレッシング」を出してくれます。この夏みかんドレッシングがなかなかおいしいのです。キャベツはお代わり自由なので、普通のドレッシングと夏みかんドレッシングをそれぞれ賞味しました。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

■カメラのフィルタ■

 今日、はじめてカメラ(松下のFZ20)の説明書を読みましだ。実はこのカメラを買ってから約一年、読んだことがありませんでした あらためて説明書を読むと、へぇ~こんなこともできたのか、あんなこともできるのか、と真新しい発見がありました。なんと、いわゆる一眼カメラと同じようにフィルタをつけて撮影することもできるようです。

光 調子に乗って、光を撮ると十時に光の線が写り込むフィルターをビックカメラに行って買ってみました。そして家に帰って、いざレンズにつけようとしてもつきません。変だなぁ~、、、何でだろう? きっと何か部品がいるのだろうと納得し、セロテープでフィルタとカメラを合体させ、使ってみました。

 変なふうに写りました。

 やっぱり、何か特殊な道具が要るんだろう、と一人納得していたとき、フィルタのねじ山がこっち側にあることを発見。

 ・・・? どうやら反対向きだったようです。それはつきませんね。セロテープをはがし、逆向きにつけたところ、がっちりフィット フィルタ代4000円は無駄にならずにすみました。今度どこかの夜景を撮るときにさっそく使ってみるとしますか!

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 治承4(1180)年10月14日

 甲斐源氏一党は、神野、春田路を通って、鉢田に進軍した。このとき、平家党の駿河目代・橘遠茂は多くの軍勢を率いて甲斐国に向けて出陣していたが、鉢田で待ち構えていた甲斐源氏と鉢合わせになった。ここは山に囲まれ、道も良くないため、駿河目代勢は前にも後に進むことができなくなってしまった。
 
 このとき、武田信義の五男・伊沢五郎信光は、加藤景廉らを従えて戦陣をきって駿河目代勢に襲い掛かった。目代・橘遠茂は防戦したが、力およばず、ついに長田忠致入道と子息二人が討ち取られ、遠茂は捕らえられた。目代勢の死者、負傷者は数知れず、ほかは散り散りに逃げ去った。

 夕方、遠茂を斬首し、彼の首を富士野の伊提のあたりにさらした。


 治承4(1180)年10月15日

 頼朝は本日、はじめて鎌倉の屋敷に入った。この屋敷は大庭景義が奉行として修理していたものである。

 14日、駿河の平家党大将・橘遠茂と甲斐源氏の武田氏らが激突した。不意をつかれた目代側が崩れ、主君だった源義朝(頼朝の父)をだまし討ちにした長田忠致とその子二人が討たれたという。遠茂自身も捕らえられてすぐに打ち首にされてしまった。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■罠のある部屋

我が家には罠があり、私が週に何回かかかる、インビジブルトラップ。
それは、睡魔です。
おなか一杯になって、ソファにごろっとなってテレビを見ていると・・・
気づくと夜中になっていあり、へたすると明け方だったり。

寒くなってきたので罠にかからないように注意しなければ(風邪ひいちゃうし)と思って、
どうしたら罠にかからないか考えてみるのですが、いろいろ考えているうちに…また気づくと夜中になってたりします。恐るべき罠です

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 治承4(1180)年10月13日

 木曽冠者義仲は、亡父の帯刀先生源義賢の跡を尋ねて、上野国に入った。平家党の足利俊綱が人々を虐げているが、我々については恐怖を感じることはないと住民らに報じた。

 甲斐源氏と北条時政・義時父子は今日夕刻、駿河国大石駅に宿陣した。平家党の駿河目代・橘遠茂が午後八時ごろ、尾張の長田忠致入道(頼朝の父・義朝を討った義朝の元郎党)の計を用いて、富士野をまわって攻め寄せてくる報告があり、その途中に待ち構えて合戦に及ぶべしと、軍議を行った。

 武田太郎信義・一條次郎忠頼・板垣三郎兼信・武田兵衛尉有義・安田三郎義定・逸見冠者光長・河内五郎義長・石和五郎信光ら甲斐源氏勢が、富士山の北麓、若彦路を越えて行った。また、加藤太光員・加藤次景廉は石橋山の戦いののち、甲斐国の方に逃れていたが、彼らも軍勢に加わって駿河国に赴いた。

テーマ : ■今日の独り言■
ジャンル : 日記

■運動の秋 運動会のバカ話

秋空 久しぶりの秋晴れです。この三連休からずっと雨、どっかにキノコでも生えそうな陽気でしたが、今日はようやくカラッと気持ちよく晴れました。この晴れが休日に来れば…… しかし、今週の土日もどうやら雨のようです。

 秋といえば運動会。しかし、今の運動会は自分たちの頃とは様子が変わっているといいます。ある学校では騎馬戦をやらない、組体操をしない。理由は単純明快で「危ないから」。怪我させると文句をつける親がいるそうです。競争では順位をつけず仲良くお手手繋いでゴール。なぜなら「順番をつけることは良くないから」だって。

 バカですね。こんなぬるま湯に浸かった児童生徒が社会人になったら、終わりですな。

 管理人もっきーはニュース番組を見てそう思ったわけです。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 治承4(1180)年10月12日

 頼朝は、由比ガ浜傍にあった鶴岡八幡宮を北山に移すこととし、師の専光坊を鶴岡八幡宮の別当職とした。そして大庭景義を奉行に任命して、宮寺の造営を命じた。頼朝はこの間、潔斎して身を清めた。

 鎌倉といったら鶴岡八幡宮、というほどちょいと有名な神社である。今の地に移ってきたのが825年前の今日である。『吾妻鏡』によれば、大庭景義が奉行として、まず茅葺の社が建立されたようだ。
 

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■6SENSE in TOKYOFM

 毎日ラジオを聴きながら会社へ向かうのですが、必ず聞いているのがTOKYOFMの「6SENSE」という番組です。テンポのよい語り口が朝から楽しいのです。その番組のコーナーのひとつ、「コジマ Catch the World」で紹介されていたサイトをご紹介します。

●ToCoo●
http://www.tocoo.jp/UserUI/do/uTop010Init.aspx?asp_id=0

 私は旅行が大好きなので、おッ! と思ったのですが、お得な旅行サイトです。「ToCoo(トクー)」というサイトなのですが、会員になれば、最大99%オフで旅館に泊まれるという特典もあったりするようです。試しにちょいと見積もってみたところ、うんうん、確かに安いです。今までは「旅の窓口」や「じゃらん」で予約していたのですが、こっちも会員(無料の)になって、旅窓、じゃらんとあわせて見積もりを取ることにします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

治承4(1180)年10月11日

 夕刻、頼朝の御台所・北条政子が鎌倉に入られた。大庭景義が政子をお迎えした。先夜、伊豆国阿岐戸郷から到着されたが、日が宜しくないことを理由に稲瀬川の民家に泊まっていた。

 伊豆走湯山の専光坊良暹がかねてよりの頼朝との契約のため、今日鎌倉に到着した。かの僧侶は頼朝の師である。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■ドラクエ

 雨も降り、外に出る気もなく、家にこもって棚をつくっていました。

 わが家には管理人のHP資料が山のようにあふれていて、カラーボックス5つではとても足りません。なので、以前買っていて、包んだままほったらかしていたカラーボックスの包みを解き、組み立て始めました。そして約10分後、カラーボックスは完成し、早くも今日やることがなくなりました。

 というわけで、約半年ぶりにプレステをやることにしました。ホコリをかぶったかわいそうなプレステに電源を入れ、ドラクエ8のDVDを挿入。懐かしいあの音楽がよみがえります。

 しかし半年も前のコト、どこまでやったのか、何をしていたのか、全く覚えておらず、いつの間にかコントローラーを持ったまま寝ていました。

 幸せな休日というか、無駄な休日というか。ふとハムスター・ハム蔵の小屋を覗くと、ティッシュにくるまって寝ています。彼は毎日こういう暮らしをしているのだろうかとふと思った一日でした。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■シネコン in 印西市

エイガ はるばる印西市のシネコン、シネリーブル千葉ニュータウンへ「ルパン」を観に行ってきました。8月にできばかりのまだ新しい、キレイな映画館です。目の前に800台以上収容できる大きな駐車場があります。

 映画館の中は二階にパスタ屋があり、一階にはジャンクフード屋があります。ここの二階のパスタ屋で昼飯を食ったのですが、レジ係のお姉さんの手際が恐ろしく悪かったです。そのため、注文の行列がずらっと並んでいます。しかもどうやら打ち間違えをしているようで、注文品と違うんですけど…という人もちらほら見かけます。まだ慣れていないんでしょう。ワタシにはとくに問題はありませんでしたが、行列はいつまでも途切れることはありませんでした。

 劇場内は階段シートで、大学の講義室のような感じ。スクリーンも良く見えます。イスはかなりゆったり座れて、カサ架け付き、ひじ掛けも幅が広いです。出入り口もイスから直接見えないので、途中退席、入室の人がいても外の光がもれることがなくて、結構いいですね。

 肝心の「ルパン」ですが、面白かったです。怪盗紳士ことアルセーヌ・ルパンのお話ですが、小説とは少し違います。内容は載せませんが、どんでん返し的な要素がいくつかあり、敵だか味方だかわからなくなる…等など、二時間があっという間。興味がおありの方はぜひ御覧ください。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 治承4(1180)年10月9日

 頼朝は大庭景義を奉行に命じて、屋敷の造営を始めた。しかしすぐにできあがるわけではなく、いろいろ不都合があるので、知家事の兼道の山内邸を移築して仮の屋敷とした。
 この屋敷は正暦年中(990-995)に建てられたが、それ以来一度も火事にあわずに今に至っている。これは安倍晴明朝臣の護符があったためである。


 奉行に任じられた大庭景義は、頼朝と石橋山で戦った平家方の大将・大庭景親の兄である。保元の乱で頼朝の叔父にあたる鎮西八郎源為朝に足を射抜かれて以来、片足が不自由だったが、頼朝の傍近くに仕えて信頼あつい人だった。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■a cup of tea■

おちゃ 最近、お茶にはまっています。緑茶、紅茶、ハーブティーなどなど特に限定はありません。ただ、写真のような上品なイメージではなく、おぉ、うまく出ている! グビグビ…という感じです。今朝も目覚めの一杯、腰に手を当ててグイっとアールグレイを飲み干しました。

 以前も書きましたが、お茶専門店のルピシアというところが気に入っています。聞いたこともないようなお茶がそろっています。ときに奇抜なものもあったりしますが、ここはなかなか面白いです。

 話は変わって、今日はビックカメラにパソコンのメモリを買いに行きました。どうもパソコンの起動が遅いような気がしていたのです。わが家のパソのメモリは現在256MB。今回は512MBのメモリを購入し、あわせて768MBになります。ビックカメラで買いましたが、なぜかポイントが20%もつき、販売価格11,800円だったので2,360円分がポイントとして追加されました。なんかすごい得した気分です。

 しかし、メモリを追加したらWindowsの起動がかなり早くなりました! ずいぶん変るもんですね。PhotoshopとIllustratorをいっしょに開いてもカタまるなんてことは、もうないでしょう

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
治承4(1180)年10月8日

 足立右馬允遠元は、日頃から頼朝のために働き、今回の挙兵に際しても真っ先に召しに応じて参上したことを賞し、頼朝は遠元が領している郡・郷について、遠元の領掌とすることを認めた。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■カレーの店 銀座 古川■

カレー 会社帰りは銀座へ晩飯の旅に。

 銀座には日頃から目をつけているウマイ米屋とウマイ中華屋とウマイカレー屋があります。

 コメ系統では「お米ギャラリー」というところがいいのですが、ここは六時半で閉まってしまうので断念。中華の「羽衣」は、以前腹がちぎれるほど食って苦しかったのを思い出し(あまりに腹いっぱいになり動けなくなって、近くのカラオケ屋で消化するのを待った)たのでやめ、なんとなくカレー屋に決めました。

 カレーは「古川」というところが有名ですね。ずらっと人が並ぶお店ですが、今日は雨だったせいか並んでいません。とはいえ、店の中はほぼ満席。一席だけ空いていたので、そこへ着席です。

 でも、銀座価格、とにかくいい値段です。注文した「伊勢海老のカレー」は2,500円 毎日の昼ごはんを手作りパン「リトルマーメイド」で4品400円ですませているワタシにとっては、6日分以上のお値段です。ただ、たまにはこういうリッチな気分を味わうのもいいものではあります。

 伊勢海老カレーはプリプリの車えびのフライがカレーの風呂に浸かっている感じです。カレーの具にも白い伊勢海老が入っています。恥ずかしながらワタクシ、伊勢海老というものを食したことが初めてです。実感としては、プリプリの歯ごたえですが、味は特に感じませんでした。カレーの味が強かったせいか、食感はバッチリだったのですが、味覚の方が若干やられたようです。カレー自体は美味しく、ご飯もお代わり(店員さんがご飯がなくなると、率先してお代わりしませんか? と聞いてきます)しました。

 銀座に行ったときにはぜひお立ち寄りください

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 治承4(1180)年10月7日

 頼朝は鎌倉に入ると、まず鶴岡八幡宮を遥拝した。その後、亡父・源義朝が住んでいた亀谷屋敷跡を訪れた。はじめ頼朝はこの旧跡に屋敷を建てようとしたのだが、あまり広くない土地であることがわかったことや、岡崎義実が建立した義朝の菩提を弔う一堂があることを考え、ここに屋敷を建てることをやめた。

 このころの鶴岡八幡宮は、由比ガ浜の少し北、材木座にあった(元八幡)。頼朝の五代前、源頼義が東北に出兵したのち、康平6(1063)年に京都の石清水八幡宮を勧請して建立した源氏所縁の神社である。石清水八幡宮で元服した頼義の長男が、八幡太郎義家となる。

●源頼義―源義家―源義親―源為義―源義朝―源頼朝

 頼朝の父・下野守源義朝はかつて鎌倉に住み、亀谷に屋敷を構えていた。今は頼朝の妻・北条政子が眠る扇谷の永福寺一帯にあたる。ここに頼朝は屋敷を建てようとしたが、狭かったことと、三浦一族の岡崎義実が義朝の菩提を弔うためにお堂(観音堂か)を建てていたこともあって、屋敷を建てるのをやめたという。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■がんせいひろう■

 うぉっ、眼が痛い。というより、右顔面から右肩背中にかけて、ばきばきに凝っている感じです。

 これに備えて、「アリナミンEX」を買ってあるのですが、会社に常備してしまって家にありません。仕方ないので、氷付けのブルーベリーで急場をしのぎ、風呂に入ってシャワーで眼球マッサージです。

 しかし痛い。何もやる気が起こらなくなります。。。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
治承4年(1180)10月6日
 
 頼朝は相模国に着陣した。畠山重忠が先陣をつとめ、千葉介常胤が後陣をつとめた。頼朝に扈従の士卒、幾千万を知らぬほど集まっている。
とっさのことで頼朝の宿舎の造営がなされておらず、民家を旅館とした。

■ちょっと翻訳■

ライト 秋の夜長、何気なくBACKSTREET BOYSを流していましたが、よく考えたら曲の意味もわからずに聴いていることに気がつきました。そこで、どんな内容を歌っているのか気になって、とりあえず今流れていた「shape of my heart」の歌詞を、翻訳サイトで翻訳してみました。

「Hmm yeah yeah Baby, please try to forgive me」

とりあえず、出だしを入れてみると、
●livedoor翻訳
「Hmm、はいはい、赤ん坊、私を許そうとしてください」

うん? このBabyはきっと「赤ん坊」じゃないだろう?

●Excite翻訳
「ふむ、うん、うん ベイビー、私を許すようにしてください」

「ふむ、うん、うん」というところがおもろいですね。

…という感じでひたすら翻訳していきましたが、どうも要領を得ない訳になってしまい、結局さっぱりわかりません。英語の歌詞を眺めていたほうがニュアンスが伝わってくることに気がつき、翻訳をやめました。

 外からはリーリーと秋の虫の声が聞こえます。夜はだいぶ肌寒くなってきたました。

 ※※※※※※※※※※※※※

治承4(1180)年10月4日
 
 武蔵秩父党の畠山重忠が、長井の渡しで頼朝の陣に参陣した。彼とともに、一族の惣領・河越重頼や江戸重長も参上した。彼ら秩父党は、頼朝に味方をした三浦介義明を三浦半島に討った者たちである。一方、三浦介義明の子、三浦義澄ほか一族たちは頼朝に味方して武功を顕している。

 頼朝は、義澄ら三浦一族に、重長たちは、源家と敵対したとはいえ、武蔵国内随一の勢力を誇る秩父一党である。彼等を遇せなければ事は成り難い。 もし源家に忠節を思うならば、過去の恩讐を腹に納めてもらいたい、という事を申し聞かせ、義澄らも納得して秩父一党を迎えた。


 三浦氏にとっては、畠山重忠、河越重頼、江戸重長ら秩父一党は一族の仇ともいうべき人たちだった。畠山重忠の母親は三浦義明の娘という関係で、もともとは縁戚関係でもあったのだが、彼らは武蔵国主・平知盛(平清盛の子)の被官でもあり、ついには平家党として頼朝を討つ側に回ってしまった。
 しかし、彼ら秩父一族はかつては源家にしたがって奥州へ出陣したり、源家と縁戚関係になったりと源家とも大変強い結びつきがあった。おそらく江戸重長は先日頼朝に参向を命じられた直後に、惣領である河越重頼や畠山重忠と連絡を取り合い、本日の参陣に至ったのだろう。重長が頼朝から参向を命じられたにも関わらず、すぐに参向しなかったのはこういった背景があったのかもしれない。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■おぉ、秋の甘い匂いが!

 朝の通勤途中、どっからともなく、あまぁい匂いが漂ってきました。

 キンモクセイの匂いでです。この季節になると、どこかに咲いているキンモクセイの匂いが風に乗ってフワフワと鼻をくすぐります。つい最近咲いていたと思いましたが、もう一年たったんですね。どこに咲いてるんだろうと、キョロキョロしましたが、結局どこにあるのかわかりませんでした。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

治承4(1180)年10月3日

 千葉介常胤は頼朝の厳命を受けて、子の千葉胤正たちを上総国に派遣した。胤正らは上総国伊北庄の伊北常仲(伊南新介常景の子)を討った。常仲は、9月3日に頼朝を討とうとした長狭常伴の外甥だったため、頼朝の怒りを買っていて誅殺されたという。

 伊北常仲は、上総権介広常の兄・伊南新介常景の長男である。本来であれば房総平氏の正嫡、惣領になるべき血筋だが、常景が弟の印東介常茂に暗殺されてからはすっかり不遇になったようである。そして今日、常仲も頼朝の命を受けた千葉介常胤によって討たれた。最後まで不遇だった。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■秋風の手賀沼■

手賀沼スミエ 昨日のリベンジというわけではありませんが、早朝手賀沼に行ってきました。

 今朝の手賀沼は薄くモヤがかかり、朝日を浴びて金色に光っていました。風はなく、水面は凪。水鳥が泳ぐと波紋がま~るく広がっていって、なかなか風流です。モヤがかかった対岸は水墨画を髣髴とさせ、これまた風流です。
 
 最近、沼の南側を走るサイクリングロードとウオーキングロードができつつあります。まだ完成していませんが、真新しいアスファルトがすでに敷かれていて、十分に歩くことができます。「立ち入り禁止」看板が立っていますが、この辺の人はそんなことは関係なく、犬を連れて散歩している姿を良く見かけます。秋の爽やかな風で通沿いのススキの穂がさわさわと揺れ動く、真新しい道の散歩。いいものです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

治承4(1180)年10月2日
 
 頼朝は、千葉介常胤・上総権介広常が架けた船筏橋を使って大井川(太日川。いまの江戸川のコト)、隅田川を渡って武蔵国についた。総勢はすでに三万騎に及んだ。豊島清元、葛西清重父子が真っ先に頼朝の陣に参上した。さらに、足立遠元も兼ねてより参陣すべしとの命を受けており、出迎えのために参向した。

 今日、頼朝の乳母・寒川尼(八田宗綱の息女で、下野国大掾の小山政光の妻)が、十四歳になる最愛の末子を連れて頼朝の陣を訪れた。頼朝は懐かしさのあまり御前に召して、これまでのいろいろな事を語り合った。そして、彼女は連れてきた末っ子を、傍近くに仕えさせて欲しいと望んだ。頼朝も喜んでこれを許し、みずから彼に烏帽子を授け、「小山七郎宗朝」と名乗らせた。


 いよいよ頼朝は江戸川と隅田川を渡って武蔵国に入った。豊島清元、葛西清重、足立遠元がさっそく味方についている。さらに、頼朝の乳母の寒川尼がわざわざ陣を訪れていることから、下野随一の大豪族だった彼女の夫・大掾(守、介に継ぐ高級官僚)小山朝光も味方についたことがわかる。まだまだ流動的ではあったが、安房・上総・下総・武蔵・下野の多くの人々は頼朝側につき始めた様子がわかる。

 寒川尼が連れてきた十四歳の末っ子は、頼朝が烏帽子親になって元服した。このとき頼朝から「朝」の一字をもらったようで、「小山七郎宗朝」と名乗っている。のちに「結城朝光」と名前を改めているが、彼は鎌倉幕府の重鎮になり、子孫も大いに栄えた。

 安土桃山時代、徳川家康の次男・秀康が結城家の養子に入って「結城秀康」と名乗り、結城家の社稷は秀康の子孫である越前松平家(福井藩)が継いでいくことになった。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■サンマルクカフェ■

サンマルク 今日は朝からサンマルク・カフェで朝食です。早朝に手賀沼の写真を撮りに行こうと思っていたものの、夜更かしで失敗。絶好の秋晴れだったのに その代わりに朝食はサンマルクへ行くことにしました。

 久しぶりに行ったサンマルクのモーニングメニューは、メニュー自体は変らないものの、秋の素材がさりげなく入ったものになっていました。パンも以前はなかったチョコココアパン、緑茶パンなんてものが配られていました。パン、生ハムサラダ、オレンジジュース、コーヒー(お代わり自由)、グラタンというメニューで、配られるパンもいつもより多かった気がします。サンマルク・カフェ、おススメです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 治承4(1180)年10月1日

 甲斐源氏の武田一族らが兵を率いて駿河に向かったことが駿河国内にうわさとなって流れた。駿河国の目代だった平家党の橘遠茂は、遠江・駿河の兵を率いて奥津に出陣した。

 一方、石橋山の戦いで散り散りになっていた頼朝に味方した武士たちは続々と下総国鷺沼の頼朝陣所に集まってきた。また、頼朝の弟・醍醐禅師全成が、修行を装って京都醍醐寺を密かに抜け出し、今日頼朝の陣についた。頼朝はその志に感じて涙を流した。


 頼朝の陣に着陣した「醍醐禅師全成」は、平治の乱で捕らえられた源義朝の妾、常盤御前の子である。幼名は今若といい、牛若こと源義経の実兄である。全成は頼朝に重く用いられ、北条政子の妹と結婚するほどであり、のちに疎んじられた弟の義経とは対照的だった。ただ、頼朝の死後は北条氏に危険視されて殺害されてしまった。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

■カラオケ

カラオケ 会社から帰ってきてから家を飛び出し、嫁とカラオケに行ってきました。やっぱり金曜日夜ということもあって夜中だというのに、大変な盛況ぶり。メインの駐車場はすでに満杯で、新しくできた、あまり知られていない方の駐車場に車をとめました。

 たまにはこんな感じでストレス発散することも大事です。思う存分堪能して帰ってきたものの、時間はすでに2時過ぎ。早朝に手賀沼に写真を撮りに行く予定なのになぁ

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

プロフィール

もっきー

Author:もっきー
千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

リンク
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
月別アーカイブ
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。