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◆千葉一族更新日記

 千葉氏HP更新。原氏について大幅に更新しましたが、嫡流家と「原越前守」家の関係について関心があります。

(1)応永13(1406)年(『香取社造営料足納帳』)
 ●原越前入道殿 が領していた場所
  →A「小栗原(船橋市本中山)」
   B「長峯(千葉市若葉区大宮町)」…原宗家の本拠・小弓に距離的に近い
   C「高篠(千葉市中央区高品町)」
   D「椎名(千葉市緑区椎名崎町)」…原宗家の本拠・小弓の隣地。ただし、これは「原殿」のみのため、越前守かは不明。

(2)永享3(1431)年(『中山法華経寺文書Ⅰ』)
 ●原宮内少輔胤義
  →「高石神(市川市高石神)」を領す

(3)永享10(1438)年、日親著(『折伏正義抄』)
 ●原宮内少輔…時代的に上記の原宮内少輔胤義と同一人物と思われる。
  →「高石神(市川市高石神)」在所の檀那
 ●原越前入道殿…応永13年の越前入道と同一人物?
  →家来の「佐久間九郎左衛門入道」…佐久間氏は原家の家風(『千学集抜粋』)

(4)文明3(1471)年9月9日『本土寺過去帳』
 ●「原越前入道道喜」
  →「小弓館」で討死。

(5)永正6(1509)年10月(『東路の津登』)
 ●「原宮内少輔胤隆」
  →小弓館で連歌師の柴屋軒宗長と連歌。
   おそらく彼の子孫が原宗家として続く。

 天正末期にも原宗家である原胤栄の一族として「原越前守」が見えますが、こうして見てみると、原宗家(宮内少輔胤隆の子孫)と原越前守家の血縁関係は非常に近いものと見て取れます。ただ、その系譜や関係を示す伝承が伝わっていないため、今のところ両者の血縁は不明です。
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テーマ : 本日の日記
ジャンル : 日記

◆クリスマス・イブ♪

 クリスマスも我が家は和風の鍋です。なべ

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 日記

◆デジタル一眼購入

 デジタル一眼レフを購入。本当は評判の高いペンタックスのK10Dにしようかと思っていましたが、どこも売り切れ。いままで使っていたカメラも砂が入ってしまいジャリジャリでいつ壊れるかわからない状態。そこで購入を考えたワケですが、K10Dはいつ入荷かわからないような状態だったため、ゴミ落とし機能つきで、写真の解像度が高く、感度を上げてもあまり荒れないといろんな雑誌に載っていたCANONのEOS kiss Digital Xレンズキットを購入しました。

 一眼は初めてなので、ゆっくりと覚えていこうと思ってますが、なんだかこのカメラの写り、ものすごい赤っぽいのです。雑誌の評判ではホワイトバランスはとてもいいと出ていましたが。。。やや不安です。
EOS

◆芝増上寺の旅

 芝の増上寺に行ってきました。ここは徳川将軍家の菩提寺であると同時に、開山は千葉介氏胤の子・酉譽聖聰という千葉氏ゆかりのお寺でもあります。

 地下鉄大門駅を出て、少し歩くと、最近建立の増上寺大門があります。「大門」といってもそれほど大きくなく、横浜中華街の門のようなカンジですね。かつてはこの門が「増上寺」の入口でした。
増上寺5
大門

 大門をくぐって少し進むと、安養院という増上寺の塔頭があります。門には「七曜に真向月星」の紋が! 屋根にも同じような七曜月星が。。。この塔頭、千葉氏と関係があるのでしょうか。
増上寺1
塔頭安養院

 さて、また歩いていくと、いよいよ三解脱門です。国道沿いにどーんと構える赤い勇壮な門は、一見すると「表門」のようですが、これは寺の中の門です。中門みたいなもの?

 境内に入ると、真正面に本堂と東京タワーが見えます。これだけ広く見える寺ですが、江戸時代と比べると十分の一以下の広さになってしまっています。
増上寺4
かつての増上寺(薄緑の範囲)

 明治政府によって多くの土地が没収されて公園となり、歴代将軍や公子、御台所などの御廟も、太平洋戦争ですべて壊滅。跡地の多くを西武グループが買い取りました。そのため、諸大名が奉納した燈籠やら建物、門などが全国各地へ流出していきました。一部西武グループが集積して本拠の狭山に寄せ集めで作った寺が狭山不動寺。燈籠などは柵の中に集められて、収容所状態です。しかも節操の無いことに、この不動寺の宗派は増上寺の浄土宗ではなく、寛永寺の天台宗ときてますから開いた口がふさがらない。

 しかも、東京プリンスホテルが建っている場所、そこは歴代将軍が眠っていた霊廟のまさにその場所。さらにプリンスホテルパークタワー(それ以前はゴルフ練習場にしてました)が建っている場所、そこは二代将軍・徳川秀忠霊廟跡です。我が家は旗本の子孫ではないので徳川家に恩も義理もありませんが、そういった霊廟跡というか、廟所跡とあからさまに判っているところにホテル? ゴルフ練習場? 西武創始者の道義的、倫理的な資質は推して知るべしです。
増上寺6
本堂

増上寺7
プリンスホテル(将軍家廟所跡)

増上寺2
鎌倉時代の諸菩薩

 とまぁそんなことを考えつつ、もと来た地下鉄大門駅から帰途に着きました。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

◆鎌倉の旅

 鎌倉に紅葉狩りへ。いつものことながら、北鎌倉から鎌倉をめぐる一日です。

 ただちょっと紅葉には早かったようで、まだ青い葉っぱがちらほら。うーむ、暖冬ですね。なので、今回はあまり紅葉は気にしないことにして、気ままな鎌倉散策に目的を変更。
紅葉円覚寺
円覚寺前

 まずは北鎌倉駅前の円覚寺、そして明月院はパスして、建長寺へ。この建長寺の外門前には以前は鎌倉期のものと思われる石塔があったのですが、キレイに取り払われて消えていました。所詮、建長寺も文化財に興味を持たなくなったということでしょうか。そう考えたら、寺にお参りするのも馬鹿らしくなりましたが、ココまで来て観光しないのももったいないので、観光地と考えて寺に入り、くるっと一周して終了。巨大な地蔵菩薩が祀られている法堂は、もともと芝の増上寺にあった二代将軍御台所・崇源院の御霊屋です。その先にある唐門も崇源院御霊屋から移築されたもの。かつての崇源院御霊屋は東京プリンスホテルの建物の下敷きになってしまっています。
建長寺1
建長寺法堂(もと増上寺崇源院御霊屋)

建長寺2
建長寺唐門(もと増上寺崇源院御霊屋の唐門)

鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮

 建長寺を出て鶴岡八幡宮へ。さらに東へ歩き、幕府跡から頼朝の墓へ。ここはもともと頼朝の法華堂があり、近世になってその跡地に島津家が頼朝の墓を建立しました。その東の山の上には、島津忠久、大江広元、毛利季光の三人のものとされるやぐらが遺されています。そしてその崖の下には北条氏(と安達氏)に滅ぼされた三浦一族のやぐら、そして一面に広がる不自然な平地は、北条義時の法華堂(つまりは墓地)が建てられていた跡とされています(私は『吾妻鏡』の記述から疑問を感じていますが、学会は逆に『吾妻鏡』の記述から義時法華堂と断定しています)。

頼朝法華堂
(伝)頼朝法華堂跡

義時法華堂
(伝)義時法華堂跡

三浦氏やぐら
伝三浦一族やぐら

 その後、永福寺跡を見学しました。秋にはススキの海になりますが、今年はすでに枯れてしまっていました。残念。

 永福寺跡からふたたび御所跡を通って鶴岡八幡宮境内に戻り、岩屋堂前を抜けて寿福寺へ。寿福寺の横にある相馬天王社(千葉介常胤次男・相馬師常ゆかりの神社)をお参りして、寿福寺に入ります。門前には鎌倉期のものと思われる石塔が目立たずにひっそりと残っています。ここは頼朝が鎌倉に入る前、三浦半島の豪族・三浦一族の岡崎義実という人が、頼朝の父・義朝のためにお堂を建てていた場所です。頼朝ははじめここに屋敷を作ろうとしましたが、お堂があったことと敷地が狭かったということで、場所を変えました。
寿福寺
寿福寺

 寿福寺を出て、浄光明寺へ。この裏山には裁判のために京都から下ってきた公家・冷泉為相が眠っています。浄光明寺裏のがけをのぼると、鎌倉時代からそこにある地蔵が目に入ります。そこでお参りを済ませて、さらに上の冷泉為相五輪塔を参拝。ここからは遠く材木座海岸を望むことができます。
地蔵堂
地蔵堂

冷泉為相
浄光明寺裏の冷泉為相五輪塔

 浄光明寺を出て、化粧坂に向かいます。相変わらず急な坂ですが、のぼっていて楽しいですね。いい散歩コースです。源氏山公園を横目に、ふたたび下り坂へ。その先に銭洗い弁天があります。ちょっと立ち寄って、弁天様にお参り。ここで洗った金を、今度の年末ジャンボに使うことにします。
化粧坂
化粧坂

銭洗い弁天
銭洗弁財天

 弁天様の祠を出て、さらに下るとようやく平地になります。ここらへんには室町時代中期に関東管領・山内上杉家の屋敷があって、「上杉禅秀の乱」のときの舞台のひとつになりました。いまは全体が住宅地になってしまっていて、当時の面影はまったくありません。

 一本道を歩いた先の十字路を左折して、鎌倉駅に。ここで昼飯をとって、こんどは夕陽を見るために由比ガ浜に向かいます。途中、伝足利持氏の供養塔や伝新羅三郎源義光のお墓などを見物しながら、陽が落ちる直前に浜近くの光明寺に入りました。この寺の脇にある塔頭・蓮乗院は、千葉介常胤の建立によるものと伝えられる名刹です。光明寺の少し北、弁が谷付近に千葉氏の屋敷があったと伝えられ、また、光明寺を建立した良忠上人は常胤の曾孫・鏑木胤定と深い交流がありました。
持氏公
伝足利持氏供養塔

新羅三郎
伝新羅三郎義光墓

 光明寺をぐるっと見た頃、閉門の合図、お坊さんが出てきて、鐘を衝きはじめました。ゴーーーン・・・ゴーーーーーゥン・・・。ちなみに、このお寺にはネコが多く住んでいて、さらに人なれしているので、ネコ好きの方にはいいところかもしれません。
光明寺
光明寺

 光明寺からほんの少し歩いて、夕陽を撮るために材木座海岸に。。。。。。ビューーーーーーーー! なんちゅう風! いままではそれほど感じなかった「風」が建物の間を吹きぬけ、細い道を駆け抜けていきます。さらに砂まで舞い上げて、こりゃヒドイ。とりあえず、海岸に出れば、吹き抜ける風も少しは落ち着くかと海岸に出ましたが、その風は一向にやむ気配はなく、砂を巻き上げて容赦なく人間とカメラを襲います。しかも夕陽は雲に隠れてしまってたいした写真が撮れそうもなく、ちょっと後悔です。

 ここから街なかに戻るためには道路を横断する必要がありますが、そんな横断歩道は由比ガ浜までありません。しかし、どうにもこうにも結局暴風の中ですから、進むほかありません。結局、材木座から由比ガ浜まで暴風の中を歩き、バチバチ当たる砂粒が猛烈に痛いですね。さらに海風でベトベト。。。カメラにも砂が入って、レンズの出し入れにジャリジャリ言い出す始末。。。耳の穴は真っ黒、肩には砂が積もっているような体たらくで由比ガ浜までなんとかたどり着くも、へとへとです。おそるべし海風。。。
稲村ガ崎
稲村ガ崎

 計画では稲村ガ崎、片瀬川、江ノ島方面まで歴史探訪の足を伸ばしたかったのだが、やはり一日で鎌倉を回りとおすのは難しいですな。すっかりヘトって電車に揺られて帰途につきました。

テーマ : 本日の日記
ジャンル : 日記

tag : 鎌倉

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千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

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