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持法院の曼珠沙華’10

 下総相馬氏の一族・藤ヶ谷相馬家の菩提寺・持法院へ行ってきました。ここは彼岸花の名所として知られていますが、大量に咲いているわけではなく、秋口の谷津田の一風景として寺に溶けこんでいる感があります。

彼岸花2 彼岸花4 彼岸花3 彼岸花1

 今年は残暑が長かったせいか、まだ満開というほどではありませんでしたが、早朝にもかかわらず駐車場はすでにいっぱい。カメラを手にした人たちが大勢いました。参道脇のスペース一帯が彼岸花の群生地で、境内でも石仏や鐘搗堂、本堂のまわりに咲いています。相馬家の伝に拠れば、相馬家の一子・登慶が貞応元(1222)年に開いた寺院とされ、現在の堂宇は明治初期、藤ヶ谷相馬家重臣の家柄である勝柴家の母屋が移築されたもので、塔頭の「登慶坊」「順慶坊」を解体して、格天井と欄間(龍と天女)が付されました。

持法院山門
 持法院山門

 この寺の山上には、墓地が広がっていますが、墓地の最上段には、相馬家祖・相馬師常の父親、千葉介常胤ゆかりの如意輪観音を祀った観音堂があり、その周りにも彼岸花が咲いていました。

如意輪観音堂
 如意輪観音堂

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テーマ : 史跡巡り
ジャンル : 旅行

第6回企画展 「銘文は伝える」~沼南の歴史をおりなす金石史料~

 旧沼南町役場(現在の柏市役所沼南庁舎)に隣接する郷土資料展示室にて、「柏市史」(沼南町史史料集金石文3)刊行記念の展示が行われていました。ここに展示されている「手賀原氏」の位牌を見に行ってきました。

沼南庁舎
 ▲柏市役所沼南庁舎

 手賀原氏は臼井原氏の一族とされ、柏市手賀一帯を治めていた千葉一族です。ただ、臼井原氏との血縁上の関わりについては正確には判明していない謎の氏族です。手賀城は小田原落城の影響を受けて開城したと思われ、その後、江戸幕府に召し出されて代々江戸南町奉行所与力職を勤め、幕末の当主・原胤昭はキリスト教教誨師として数多くの囚人を救済した名士として知られます。

 手賀原氏については、原胤昭が遺した奉行所内の文書・与力の系譜類が千代田区によって整理され、活字化されて出版されています(現在三巻目まで)。江戸時代の奉行所の仕事や役割がよくわかる書籍です。千代田区役所または千代田区立四番町歴史民俗資料館にて頒布されています。なお、郷土資料展示室で展示されていた、「満福寺(現在の柏市柳戸の弘誓院)」の梵鐘(模造)の実物は、図らずも千代田区立四番町歴史民俗資料館に展示されています。

 史料
 ▲『江戸町与力の世界=原胤昭が語る幕末』

テーマ : 柏市周辺
ジャンル : 地域情報

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