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■忘年会その2■

 今日は会社の忘年会と結婚退社するひとの送別会です。昨日に引き続いての飲み会はちょっと疲れますが、忘年会の現場はおすし屋です! そういえば最近すしなんか食べてないから、ちょっと期待しちゃいます。

 寿司といえば、以前渋谷の回転寿司屋に行ったのですが、ここは10皿食わないと開放されないという店でした。余裕余裕と思いながら入ったものの、10皿ってのは思ったより量がありました。他にも信州の小諸で築地直送のすし屋に連れて行ってもらったことがありましたが、十個くらいでおなかは結構膨れます。すしってのは、見た目以上に腹にたまるものなんですね。
 
治承4(1180)年12月22日

 今日、新田大炊助義重入道上西が、頼朝の召しに応じて、上野国新田庄から鎌倉に参上した。しかし、鎌倉の入口の山ノ内に着くと、鎌倉に入ることはならぬという旨が伝えられたため、義重は山ノ内に留まることになった。義重が鎌倉に呼ばれた理由は、義重が兵を集めて上野国の寺尾館に立て籠もったという風聞が鎌倉に伝えられたためで、頼朝は安達盛長を通じて義重を鎌倉に出頭を命じたのだ。

 義重は「決して鎌倉殿への異議があるわけではないが、館に兵がいないと、戦闘が起こったときにたやすく兵を出すことができないと家人等の勧めによって兵を集め、そのままにしていたが、いまこのような命を受けた。大いに恐れ入った」と盛長に伝え、頼朝も納得した。

 また、義重の孫、里見太郎義成が京都から参上した。日ごろは平家に属していたが、頼朝の挙兵を聞き参上したという。義成は一計を案じ、「私は内々に頼朝を討つ計画を立てております。密かに関東へ向かい、頼朝を討ち取ってまいりましょう」と偽りを言うと、平家はこれを喜んで義成を関東に遣わしたという。義成が駿河千本松原に至ったとき、斎藤実盛、瀬下広親と出会ったが、彼らは「東国の勇士たちはみな武衛に従った。武衛はすでに数万騎を率いて鎌倉に入られた。しかし、我らは先日来の平家との約束があるため、上洛いたす」と告げた。義成はこのことを聞いて、さらに鎌倉へ急いだ。


 新田義重は頼朝の祖・八幡太郎義家の孫にあたる源氏の名門で、頼朝の兄・悪源太義平の舅にあたる。頼朝が義重の娘である義平の後家を側室にしようと義重に申し入れたが断られたことで、義重は頼朝に嫌われたという。その影響がずーーーーっと尾を引いたのか、鎌倉時代の新田家は源氏の名門なのにぱっとせず、同族の足利家(義重の弟・義康の子孫)は鎌倉幕府の重鎮として重きをなした。

テーマ : ■今日の独り言■
ジャンル : 日記

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