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更新日記

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●千葉一族の堤氏、澤田氏、文殊寺氏、橋本氏を追加しました。
 彼らは薩摩国に繁栄した千葉一族ですが、その祖は上総権介秀胤とされています。秀胤一族は宝治合戦(1247)によって滅んでいますが、彼の一族の幼児、乳児等は助命されていることが『吾妻鏡』に見ることができます。そのうちの一人が薩摩国へ下向したとも考えられますが、そのあたりの経緯は不明。

●高望王の母について
 三つの説があり、それぞれを系譜に記載。
(1)右京大夫藤原是緒女
(2)武蔵守橘春成女
(3)仲野親王女

テーマ : 日記
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千葉の妙見信仰を最初に取り入れた方ですよね。
右京大夫藤原是緒女ではなかったんですか?

こんにちは

kateruさん、こんにちは

 高望王の母は説が三つほどあって、いずれが事実かは不明です。右京大夫藤原是緒女は『千葉大系図』説ですね。
 武蔵守橘春成女は『千馬家系図』、仲野親王女は『系図纂要』記載のものです。
 また、高望王の妻については、『系図纂要』に「刑部卿茂世王女」とありました。『系図纂要』の説に従うとすると、高望王は従姉妹と結婚したことになりますね。奈良県の法隆寺近く、旧三郷町にある龍田大社には高望王夫人を祀った「高望王社」があります。

ありがとうございます

いろいろ諸説があるんですね。

千葉常胤は源頼朝になぜ、鎌倉に幕府を開くようにし向けたのですか?

 常胤が幕府を開くようにし向けた、という事実はうかがえませんので、幕府(関東主導の政治体制という意味合い)を作ろうと考えたのは、頼朝の意思ではないでしょうか。余談ですが、その過程で、頼朝が個人的に御家人へ所領を安堵するという関係をいったん解消する必要があり、すべて右大将家政所からの下文で安堵する形に改められました。これに旧来からの関係を望んだ常胤や小山朝政らが抵抗し、特別に頼朝からの下文をもらっています。

 石橋山の戦いに敗れて房総半島に逃れた頼朝が、常胤に協力を求めた際、常胤が鎌倉を勧めたことは『吾妻鏡』に見ることができます。

「…当時御居所、非指要害地、又非御曩跡、速可令出相摸国鎌倉給…」(『吾妻鏡』治承四年九月九日條)

 頼朝の先祖、頼義、義家のゆかりの地であることや、頼朝の父親がもともと鎌倉や逗子に屋敷を持っていたこと、要害の地であることがその理由でしょう。

細かく知らなくてすいません。

頼朝が関東主導の政治体制を作ろうとした背景には、
そのような意味があったのですか?
また、その後、北条氏が鎌倉幕府を統括していきますが、
千葉一族はどのような関わりと持っていったのですか?

 千葉氏は北条氏とは縁戚でした。北条時頼の後妻は千葉氏の出(千田尼)、千葉介頼胤の母親は北条時房の娘、頼胤の妻(千葉泰胤娘)の姉妹は金沢北条顕時の妻、その娘は千葉介胤宗妻で、その子に千葉介貞胤がいます。ただし、得宗家との縁戚ではなく金沢氏が主になっていたようです。金沢氏の所領が下総にあったことが接点でしょう。

 千葉氏も一族の千葉秀胤が幕府の評定衆に加わっていて、その中枢に食い込んだ時期もありましたが、宝治合戦の前哨で、三浦氏の縁戚だった秀胤が滅ぼされ、その後千葉氏が幕政に関わったことはありません。鎌倉に近い下総を領していた大族・千葉氏を警戒していたことは想像に難くありません。この追討劇にしても千葉一族に対する牽制の意味もあったことでしょう。秀胤追討を命じられたのが同じ千葉一族の大須賀氏、東氏だったこともそんな考えをうかがわせます。

 ただ、北条氏との政争に敗れて滅ぼされた三浦氏や和田氏、安達氏などとは異なり、千葉氏は政局に巻き込まれて滅ぼされることはありませんでした。幕政に関わらなかったことが大きな要因でしょう。

本当にありがとうございます

もっきーさんは、なんでこんなに千葉一族に対して詳しいんですか?

私は、古代遺跡や古墳の数から考えても、千葉はおかしな土地だな~と思っているのですが、その秘密が千葉一族の動きと関わっている気がして、調べているのですが、専門家ではないので、本当にわからないことばかりで、遺跡をみていると疑問だらけでした。

もっきーさんのHPを見ながら、いろいろ発見することがあり、すごいなあ~
と関心しています。

今の天皇家もおかしいし、どう理解するのが正しいのか悩んでいます。
もっきーさんはどう思われますか?

 私としては、古墳を築いた下総の古代豪族と千葉氏との間に直接的な関係はないと考えています。そもそも房総平氏の庶流である千葉氏が千葉に移ってきたのは、常胤の父・常重(一説には常兼ともされていますが、私は常重が初めと推測しています)の代ですので、古墳を造った豪族と千葉氏が現れるそのタイムラグを考えても直接の関係はないと思われます。

 では、古代豪族はどこへ消えたのか。それは私は全くわかりません。中央集権のなかで国造は郡司層へ変わっていったといわれています(千葉に本拠を置いていたという千葉国造は厳密にはこうした国造とは別の存在であったことが推測されています〔『日本古代国造制の研究』など〕)。中央より派遣される国司層の支配のもとで在庁官人への道をたどった者や、立場上近い関係であった農民層へ変わっていった可能性もあると思います。

 今の天皇家の問題とは、継承の問題のことでしょうか? 千数百年の歴史文化の生き証人である天皇家(天皇家、という言い方もおかしいのですが…)のこれまでの継承の仕方と、現実のジレンマが問題になっているんでしょうね。

なるほど

もっきーさん、ありがとうございます。

 千葉一族を考えた場合、歴史的には、鎌倉幕府を建てる時に、千葉常胤が源頼朝を助けた以外、歴史の表舞台に出ることもなく、(私は千葉に引っ越してくるまで、千葉一族を知りませんでした)小田原評定後に滅亡になった千葉一族がこの日本で位置づけている内容は何なんでしょうか?千葉県に他に有名人物がいないぐらいのものなんでしょうか?

 「千葉一族がこの日本で位置づけている内容」ということがいまいち汲み取れませんですみません。的外れな答えになっていたら申し訳ありません。

 千葉氏は常に歴史の表舞台に立っていました。鎌倉幕府の滅亡に際しては、鎌倉攻めをした大将の一人として戦っています。室町時代に際しても、関東での異変や政局には必ず千葉氏も何らかの形で加わっています。それだけ千葉氏(をはじめとする豪族出身の氏族)の歴史的な影響力は強かったのでしょう。しかし、それらの「活躍」が表見えづらくなっているのは、事件の概要のみを求める教科書や、華やかさを強調する小説などの類の影響が強いと思います。でも別にそれが悪いとは言いません。

失礼な質問でした。すいません。

基本的なことばかり聞いてすいません。
関東武士団としての役割が確かに大きかったなあと思っています。
千葉の中で、千葉常胤とその7人の子供達の果たした役割はすごいなあとも思います。
いろいろありがとうございました。
また、投稿しますね。(^^;)

 私は長年千葉県に住んでいながら、数年前まで千葉氏の存在を知りませんでした(^^;
「千葉常胤とその7人の子供達」ということで、ふと思ったので記載します。
 常胤の七人の男子のうち、以仁王の乱に参戦して亡くなった園城寺律静房「日胤」について、彼は常胤の末子といわれていますが、私は少なくとも末子ではないと考えています。日胤は園城寺の塔頭を預かり、伊賀公日慧という弟子も持つほどの僧侶でした。しかし、彼の「兄」の胤頼がこの頃二十代であったと推測されることから、末子であれば「弟」の日胤もおそらく二十代ということになります。
 しかし、日胤が園城寺にいた頃、千葉氏は京都に対して全く無名でした。若年にして塔頭を預かるほどの家柄でもなく、それなりの知識でなければ塔頭を預かることは難しかったのではないかと思っています。完全に憶測の世界ですが、常胤の長男という可能性もあるのではないかと思っています。
 ちなみに、日胤の末裔とされている円城寺氏は、実際には原一族と思われます。
 余談でした。

お暑うございます

いろいろありがとうございます。
話は変わるのですが、6月9日に行われた、千葉一族慰霊祭の時に、
福田豊彦教授が語られた内容の、DVDとかビデオみたいなものは
無いのでしょうか?
私が突然、千葉一族に興味を持ちだしたのが、この次の日(6月10日)に夢を見てからなのですが、6月中は千葉山をはじめ、この近辺の千葉氏ゆかりの寺をお線香を持ってお参りしていました。もっきーさんのHPを見つけたのが、7月中旬になってからで、6月に参加できなかったのが悔やまれます。
私は7年前に千葉に来て、亥鼻城の近くに住んでいるのですが、
千葉常胤には、全く興味が無く過ごしてきました。
今年に入り、突然興味を持つようになり、亥鼻城も足を運ぶようになったですが、なかなか自分の中のもやもやがすっきりせずに、今日に至っています。
専門的な学者でもないので、どうしてあげたらいいのか困惑しています。
そういう面では、もっきーさんのHPやブログは大変役立っています。
本当にありがとうございます。

すいません。
千葉常胤のお墓は、大日寺にあるのでしょうか?

はじめまして柔と申します。

インターネット上に千葉一族に伝わる古武術「桓武月辰流柔術」というものがあります。北辰一刀流を名称を変えて伝えているとのことのようですが、家族全員に伝えられているものなのでしょうか?

よろしくお願いします。


失礼します。
プロフィール

もっきー

Author:もっきー
千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

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