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伊豆の旅

 伊豆の旅に出かけました。湯河原から伊豆長岡、修善寺をめぐる旅、鎌倉時代へ(勝手に)タイムスリップです。湯河原の旅館に車を預け、電車で伊豆長岡へ向いました。時期的には観光シーズンでもないし、道はすいてましたね。

 伊豆長岡駅にはレンタサイクルがあり(要事前予約)、こいつに乗って市内散策です。近場で行っておきたいところと言えば、まず願成就院。鎌倉北条氏の広大な菩提寺の跡です。今となっては小さな(とはいえ、普通のお寺に比べたらよっぽどでっかいですが)寺になってしまいましたが、かつては堂塔を配するビッグな寺でした。

願成就院2
願成就院

願成就院1
願成就院跡

称名寺
称名寺の庭園

 さらに境内の池には橋を架けて中島に渡す浄土式庭園が広がっていたといいます。たぶん上の写真のようなイメージか? これは金沢北条氏が、武蔵国金澤(金沢文庫の辺)に建てた称名寺です。

北条時政墓
北条時政墓

 願成就院の境内には、北条時政のお墓が残っています。鎌倉幕府を我が物にしようと、いろいろな企みをした挙句、娘の北条政子と息子の北条義時によって鎌倉を追放されて、北条氏発祥のこの地へ押し込められ、鎌倉に戻ることなく亡くなりました。

堀越御所跡
堀越御所跡

 さて、願成就院の先には、北条政子産湯の井戸と呼ばれる井戸の跡、さらにその周辺一帯は、室町時代中期、鎌倉を追放された鎌倉公方・足利成氏の代わりに京都から派遣された足利政知(八代将軍・足利義政の弟)が御所を構え、「堀越御所」と呼ばれた屋敷跡が残されています。いまは芝生の公園になっています。このあたりも、鎌倉時代には北条氏の屋敷群があったのでしょう。

北条氏屋敷跡
守山麓の北条氏屋敷跡

 堀越御所から自転車で2,3分のところに、北条氏の屋敷跡があります。北条政子もこのあたりで生まれたのでしょう。鎌倉幕府滅亡後もここには北条氏の女性たちが暮らしていたそうです。そして、そのすぐわきを流れている狩野川の対岸が、二代執権・北条義時の屋敷があった「江間」地区になります。

北条義時
北条義時夫妻の墓

 その北条義時と奥さん(佐伯氏)のお墓が江間地区の北条寺にあります。ただし、本当の義時の墓は鎌倉の「大蔵幕府」の北側の山上にあったので、北条寺のお墓は義時の子・泰時が供養墓として建立したものとされています。

蛭が小島
伝蛭が小島

 さて、しばらく東へ走ると、平家によって頼朝が流されていた「蛭が小島」跡に着きます。ここには頼朝と北条政子の銅像が建てられていて、解説ボランティアのオジサンたちもいましたね。少し前に宮城の多賀城に行ったとき、解説ボランティアのオジサンたちから手厚く濃ゆ~い説明をうけてしまったことを思い出し、時間もないのでオジサンたちに見つからないよう、遠巻きに散策。

 実際の頼朝が配流されていた「蛭が小島」は別の場所(もう少し西に寄った中洲)といわれ、この地ではないようですが、まぁ、気分だけでも蛭が小島ということで、隅々まで見て回りました。そして、さらに東へ。すると、江戸時代の韮山代官・江川家の代官所跡が見えてきました。幕末の剣豪にして名代官・江川太郎左衛門英龍もここにいたのかと思うと、なんとも奇妙な気分。ただ、拝観には金がかかるらしいので、今回は却下。

 その江川邸跡の正面の小道をひたすら登っていくと、香山寺というお寺に到着。ここは、頼朝が挙兵をした時に討たれた平家方の伊豆国目代・山木判官代平兼隆の首塚があります。

山木判官墓 香山寺
山木判官平兼隆墓

 山木判官墓から、江川太郎左衛門の反射炉を見て回ろうとしたのですが、時間がなく今回は断念。伊豆長岡駅に戻って自転車を返却し、電車で修善寺へ。

 修善寺ではあまり時間がないので、バスに乗って修善寺温泉へ直行。この地で殺された鎌倉二代将軍・源頼家と、頼朝の弟・三河守範頼の供養墓を見て回り、修禅寺でお参りを済ませて湯河原へ戻りました。しかし、修善寺温泉から駅までのバスが終わっちゃうのが早くて、かなり走りました

源頼家
源頼家墓

源範頼
源範頼墓

修禅寺
修禅寺

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

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