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上野の桜はまだです 3/21

 3/21 桜開花宣言。

…というわけで、上野公園に行ってきました。

がっ! ほとんど咲いていません。ピンクの大柄な桜は咲いていましたが。

桜花
 ▲濃いピンクの桜

 今日、靖国神社の基準木の花が咲いたというだけのハナシで、上野は花見をするには程遠い感じです。それにもかかわらず、土曜日の午後ということでかなりの人出でした。
見頃は休日だと来週3/28、29から4/4~4/5あたりがメインになりそうです。

 上野公園の北、国立博物館では、3/31から「国宝 阿修羅展」が開催されます。奈良の興福寺の仏像の一つで、奈良時代の作。2年ほど前、興福寺の国宝館で拝観しましたが、かなりリアルで端正な顔立ちです。ぜひ阿修羅展にも行ってみたいですねぇ。

「国宝 阿修羅展」http://www.asahi.com/ashura/

 上野公園がある場所は、江戸時代も桜の名所として有名でした。ただ、ここは公園ではなく、徳川将軍家の菩提寺、東叡山寛永寺というお寺がどーんとありました。

 山号の「東叡山」とは東の比叡山という意味で、不忍池は琵琶湖、中ほどにある弁天島は竹生島と対比しています。開山は徳川家ゆかりの慈眼大師(天海大僧正)。寛永2(1625)年の建立で、勅許を以って元号「寛永」を寺名に冠した名刹です。寺のトップは皇族が京都から下向して就き、その寺域は上野公園全域はもちろん、谷中霊園の大部分、日暮里駅の手前までに至る広大なものでした。現在の国立博物館は本坊跡です。

天海    公園
 ▲天海大僧正像(日光)   ▲法華堂・荒行堂跡(道の真ん中)から本堂跡(国立博物館)を望む

 しかし、幕末の慶応4(1868)年5月、彰義隊をはじめとする旧幕府側の武士たちがこの寛永寺に立てこもって、新政府軍に抵抗しました。「上野戦争」と呼ばれています。とくに激戦になったのが、いまの上野公園の桜並木に入るあたりにあった「黒門」でした。現在黒門は撤去されて、南千住の円通寺に移されていますが、当時の戦闘の跡が生々しく残っています。そして、この上野戦争で寛永寺はほぼ燃え尽きてしまいました。

上野黒門 黒門1 
 ▲黒門(移築)          ▲黒門に残る上野戦争の弾痕

 その後、公園として整備され、今のような形になりました。しかし、上野東照宮、五重塔、清水堂など、お寺だった頃の名残が、あちこちに見られます。

 国立博物館の入口のすこしヨコには、鳥取藩三十二万石の池田家上屋敷門(黒門)があります。かなりの大きさで、門に住めますな。

池田家
 ▲鳥取藩上屋敷門

 国立博物館を少し北に行ったところには、現在の寛永寺根本中堂があります。川越の喜多院から移築されたもので、かつての威容はまったくありませんが、周囲の並木にとけこんでいい雰囲気をかもし出しています。参道の石灯籠は大名からの奉納品ですが、奉納者ならびに被奉納者の名がうまいこと削られていて、誰が奉納した灯篭かは不明です。

本坊
 ▲寛永寺根本中堂

 スミのほうには、いかにも由緒ありげな石塔や宝塔が放置されていました。宝塔や石塔はここにあったものとは考えられませんが、将軍家ゆかりの人の墓石だったことは、その形や法名から推測できます。先日も谷中霊園内の奥方様墓地が撤去されましたが、国や都は文化財の散逸を防ぐ意味でも、予算をつけてほしいもんです。

塔1
 ▲「桂芳院(一橋治済正妻・寿賀宮在子女王)」とある三葉葵紋付宝筐印塔

塔2
 ▲「青蓮院妙香日■(徳川家斉側室於瑠璃方)」、「是心院妙雪観空大姉」

塔3
 ▲無紋の八角宝塔:徳川家斉生母・慈徳院(於富方) 『徳川将軍家墓碑総覧』より

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