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豪徳寺

世田谷豪徳寺へ行ってきました。彦根藩主井伊家の菩提寺です。
小田急豪徳寺駅、世田谷線宮の坂駅が最寄りになります(豪徳寺周辺マップ)。

ネットのニュースに「豪徳寺井伊直弼の墓石修復と調査」という記事を見つけたため、井伊家の墓所も寛永寺徳川家墓所のようについに整理かも? と、さっそく出かけてみました。井伊直弼は安政七年三月三日雪の降る朝、登城するために藩邸を出たのち、桜田門付近で襲撃されて討たれました。

桜田門遠景     桜田門外
 ▲旧彦根藩邸より桜田門を望む       ▲桜田門

彦根藩二代藩主・井伊直孝が鷹狩の帰りに門前にいたこの寺の飼い猫に招かれて寺に入り、豪雨の難を避けたことで井伊家の菩提寺になったという伝承があり、多くの招き猫が奉納されています。江戸時代に井伊家の菩提寺となり、井伊直孝の「豪徳天英」の法名から「豪徳寺」と称されるようになりました。

大老井伊家の菩提寺らしく、かなり広い境内にかなりの参拝の人。境内地の西側半分がこれまた広大な墓所になっています。本堂は仏殿の裏手にありますが、法事が営まれていたので井伊家廟所へ。途中に観音堂とあたらしめの三重塔があります。

豪徳寺2 豪徳寺3 豪徳寺1
 ▲総門         ▲仏殿               ▲観音堂(この脇に招き猫奉納場がある)

墓所の南三分の一程度が井伊家の廟所になっています。廟所入口には藩主や代表的な子女の配置図が記されています。この廟所は平成20年に国指定の史跡に指定されました。

豪徳寺4
 ▲廟所配置図

入口からまっすぐ参道を行くと、井伊直孝の墓石があります。

豪徳寺7
 ▲左側が中興開基の井伊直孝(二代藩主)、右側が井伊直(九代藩主)

直孝墓所の左側には江戸後期の井伊家墓所がありますが、井伊直弼墓所の発掘調査のため立ち入り禁止。説明版が設置されていました。

豪徳寺5
 ▲説明版。江戸時代の豪徳寺絵図と井伊直弼墓所の写真などが紹介されています。

豪徳寺6
 ▲奥の白いビニールシートが井伊直弼墓所。発掘が行なわれたがまだ棺は見つからず。

彦根藩には千葉一族・相馬家も上級藩士として仕えていました。豪徳寺には彦根藩士の墓もあるとネットで見ていたので、相馬家の墓石を探しましたがやはり見つかりませんでした。なお、子孫の相馬永胤は専修大学創始者の一人です。

そのあとは豪徳寺の隣にあった世田谷城跡に行く予定でしたが、時間がなく断念。世田谷城は室町時代につくられた城で、城主は吉良家。忠臣蔵の吉良上野介とは先祖は同じですが、血縁的にはほとんど関係ありません。江戸時代には蒔田と名乗りますが、吉良上野介が赤穂浪士に討たれた後、吉良姓に戻っています。

テーマ : 史跡巡り
ジャンル : 旅行

tag : 豪徳寺 井伊直弼 発掘

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