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千葉常重はほんとうに大椎から千葉に移った?

 千葉氏が千葉以前は「大椎」に本拠を構えたとされています。しかし、はたしてそれは事実か、若干の考察を試みます。

 千葉介常胤の父・常重が千葉に移住したとされるのは大治元(1126)年とされています。ところが、『吾妻鏡』承元三(1209)年十二月十五日条に、千葉介成胤は

「先祖千葉大夫、元永以後、為当荘検非違所之間」

と見えることから、当時の千葉宗家の伝承には、先祖の「千葉大夫」が元永年中(1118~19)には千葉庄の検非違使として、千葉に在住していた記録が残されていたと考えてよいでしょう。「千葉大夫」については、時代からも『桓武平氏諸流系図』に「千葉大夫」としてみられる常重に相当します。このことから、常重が千葉へ移ったとされる大治元(1126)年にはすでに常重は千葉に地盤を築いていたことになります。そもそも「本拠」に腰を据えずに短期間のうちに数回の変遷をみるのは不自然です。ではなぜ、常重は「大椎」から「千葉」に移住したとされたのでしょう。それはおそらく、系譜上の誤記から発生したものと推測されます。

 千葉氏の記載がある系譜で比較的古いものとしては、鎌倉期成立とみられる『桓武平氏諸流系図』および鎌倉期に肥前国小城に渡った千葉家系譜の写本『徳島本千葉系図』がありますが、常重の項目については、それぞれ

 『桓武平氏諸流系図』:「大権介」
 『徳島本千葉系図』 :「大椎介」

となっています。「権」「椎」の行書体は非常に似通っており、この「大権介」「大椎介」は同じことを指していると考えられます。ではどちらが正しいのでしょう。結論から言えば、古い千葉家の伝を引いてエッセンスとしたとみられる平家物語の異本『源平闘諍録』にも「大権介」とみえますので、おそらく「大権介」が本来記載されていたものと推測されます。この「大」については、常重の子・常胤についても『桓武平氏諸流系図』には「大千葉介」との記載があることから、敬称としての「大」であると推測されます。さらに、室町期成立とみられる千葉家伝『千学集』においては「大椎権介」という記載のされ方に変わります。

 以上のことを踏まえた推論としては、
①もともとこれらの千葉家に関する系譜の根本となった「原」系譜が存在
 ・常重:「大権介」

②系譜が転記される中で「権」と「椎」が混同
 ・常重:「大権介」「大椎介」

③「大椎介」写本の系譜が「原」系譜と突合され、「椎」を「権」と側註が記載される
 ・常重:「大椎(権)介」

④室町期までに「大椎権介」と記載の系譜ができあがる
 ・常重:「大椎権介」⇒この系統の系譜の伝を引いて『千学集』の常重の肩書きが記される

あくまで推論ですが、このような可能性も否定できないかと考えます。

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