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鎌倉御家人 安達氏についての一考察 その二

●藤九郎盛長の出自

 前条のことから、藤九郎盛長は武蔵足立氏とは血縁関係のない氏族出身者と推測されますが、では盛長はどのような出自の人物だったのでしょう。明確な資料は残されておらず「推測」となりますが、

(一)頼朝の叔父に当たる「法眼範智」の伝に「藤九郎盛長〃人云々」の記述が見られ、盛長と熱田大宮司家の関連をうかがわせる(『尊卑分脈』)
(二)頼朝は母所縁の人物をことのほか大事にした→流人時代から盛長を殊に重用していた
(三)盛長は熱田大宮司家に所縁のある三河国との接点が深い
(四)子孫と思われる城九郎直盛は、尾張国の熱田大宮司領を押領し訴えられている→大宮司家との接点が?
(五)頼朝の配流にあたって、頼朝叔父「祐範」が付けた「郎従一人」が盛長そのひとの可能性?

などの理由から、熱田大宮司家と所縁の人物であろうと推測されます。また、盛長の妻「丹後内侍」も、その後の頼朝の特別な配慮から、こちらも熱田大宮司家との関係が強い可能性があります。

 ただ、一方で盛長は伊勢神宮との関連も感じさせる一面があります。

(一)盛長は伊勢別宮たる鎌倉の「甘縄神明社」の維持管理を任されていた。
   ⇒盛長邸(甘縄邸)が甘縄に造営された理由は、甘縄神明社の守護・管理のためと推測。
(二)盛長が奉行人を務めた「上野国」は、鎌倉時代初期には坂東諸国と比較すると伊勢神領がとても多い。
 〔参考〕建久3(1192)年8月当時の坂東諸国の伊勢神領(「神鳳抄」:『鎌倉遺文』614)
  国名    神領  
  相模国  大庭御厨、(鎌倉御厨?)
  武蔵国  榛谷御厨、七松御厨、大河土御厨
  上野国  薗田御厨、須永御厨、青柳御厨、玉村御厨、高山御厨、邑楽御厨
  下野国  片梁田御厨、寒河御厨
  安房国  東條御厨
  下総国  相馬御厨、夏見御厨
  常陸国  小栗御厨

(三)盛長が奉行人をつとめた「三河国」も伊勢神領が多い
   ⇒後年、二代将軍頼家が三河国の神領六ヶ所の権限を「地頭」から取り上げて伊勢神官の裁量とするが、
    その後、盛長の代官が狼藉を働いたとして伊勢神官が幕府に訴えている。
(四)安達(城)氏の被官・野田氏は、尾張国内の伊勢神領・野田御園の氏族か。

 しかし、伊勢との関わりについては、頼朝がもっとも信頼する家人盛長へ、尊崇する伊勢社の管理を任せたという理由であって、盛長の出自とは関係はないと思われます。また、上野国の奉行人についても、これは木曾義仲の上野・信濃への拘りに対する措置と思われることから、国奉行就任と伊勢神領との関わりもないと思われます。やはり、盛長は熱田大宮司家と何らかのかかわりを持っていた人物と思われます。

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