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★韓国料理屋へ行く★

カジリ
 今日は会社の飲み会で韓国料理屋へ。実は管理人は韓国料理屋に行くのははじめてです。

 すこし遅刻しつつもいざ行ってみると、店にはえもいわれぬ香りが充満。それほど腹が減っていないと思っていた管理人でしたが、実は腹が減りすぎていたらしい。ぐぅ~~。

 出てきた料理の名前もわからぬまま、ひたすら食べましたが、ニンニクすき焼きをジュージュー焼き、イカ入りキムチ、キムチ風春雨、薄いお好み焼き、タコサラダ唐辛子風味…、こんな感じのものを食べました。いや、うまかったです! しかし辛かったですね。そしてニンニク臭くなりました。いまこの日記を書いている時点でもなんかニンニクの臭いが鼻に残っています。

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治承5(1180)年9月6日

 晩になって、上総介八郎広常のもとから、和田義盛が戻ってきた。広常が言うには、頼朝の陣には同族の千葉介常胤と相談の上、参上する旨を申したと言う。

 いよいよ『吾妻鏡』に千葉氏、上総氏の名が登場してきた。千葉氏は下総国(千葉県北部)の高級在庁官人。また、上総介八郎広常は、上総国(千葉県中部)を実質的な最高権力者・上総権介常茂の弟だった。そして、この両名は、頼朝の父さん・源義朝の郎党だった人物なのだ。頼朝がすがった気持ちもわかる。
 しかしこの当時、千葉介常胤は下総国司・藤原氏(平家の一門)に服従していた。また、上総広常の兄・上総権介常茂は平家党(このとき上京中)。もしもこの二人が平家に味方したら、頼朝率いる数十騎は一瞬で消滅する。しかし、房総半島を押さえなければこれ以上進むこともできない。もはや頼朝は進むしかなかったのだ。

★HP更新日記3★
 正親町三條家の諸大夫だった千葉家を追加。この千葉家は、江戸時代後期に正親町三條家に仕官した家柄で、近江国志賀郡和邇村(滋賀県滋賀郡志賀町)が発祥地ということくらいしかわからない。幕末の千葉美濃守洪胤は明治時代になって、嵯峨家(正親町三條家改め)の家扶(二等官)について、嵯峨家の家政を取り仕切った。

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