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■大道芸人のパフォーマンスを見ました~in lalaport~■

大道芸人 今日は、電車ではるばる船橋市のららぽーとへ行ってきました。ららぽーとのある南船橋駅は、都内から行くといちいち西船駅で乗換えしなくてはならず、アクセスは悪いです。

 そんなこんなでららぽーとに着きましたが、夏物セールもすでに終わり、秋物が並んでいます。季節はすっかり秋です。店内も全体的にオレンジです。

 とりあえずお腹が減っていたので、ららぽーと1階にある行きつけの地鶏屋へ。ここの地鶏屋はとてもうまいのです。いつもは地鶏炒飯なのですが、今日は気分を変えて「きじ焼とろろ丼」を発注! ん~~、やっぱりうまい。ららぽーとにはフードコートもあるし、五右衛門(スパandにんにく)、アフタヌーンティーなんかもあって、食事には困りません。

 腹もいっぱいになったところで、今度はハムスターを見に、屋上にある「ぺっとエコ横浜」へ。ペット屋の横にはフットサルのコートや、ミニドッグランも併設されていて、なかなか開放的です。

 その後、南船橋駅に行くためにセンターコートを歩いていると、前方に人だかりを発見。ふと見ると、大道芸人・ジェン氏のパフォーマンスが。パイプイスを重ねて逆立ち、そして火のついた棒を回すワザを披露していました。ん~、こりゃスゴイ。以前、大道芸人のパフォーマンスを見ていたら「そこのおにーさん来て」と呼ばれてアシスタントをやらされた苦い経験があるので、隠れながら見ていましたが、すごいですね

 そして、たくさんの買い物した荷物を抱えて帰ってきました。今日もなかなか充実した土曜日でした。

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治承5(1180)年9月10日

 甲斐国の源氏、武田信義・一條忠頼らは石橋山の合戦の事を聞き、頼朝を訪ねるために駿河国へ出陣しようとしたが、平家に加担する者が信濃国にある知らせを受けて、まず信濃国へ出兵した。そして、去る夜、諏訪上宮庵沢の辺りに宿陣したが、深更になって若い女が一人、申すべきことがあると一條忠頼の陣に来た。忠頼は女を怪しみながらも、炉辺に招いて謁見した。女は「私は諏訪上宮大祝篤光の妻です。夫の使いとして参上しました。夫が申すには、源家のための御祈祷を行っていたため社頭に参籠し、三日の間、屋敷に戻らなかったのだが、その夜の夢に、梶葉文の直垂を着て、葦毛の馬にまたがった勇士一騎が源氏の方人と称して西を指して鞭を揚げた姿を見た。これはきっと諏訪大明神の神示に違いない」と言う。忠頼はもとより信仰心の篤い男であった。喜んだ忠頼は彼女に剣一腰と腹巻一領を贈った。

 忠頼はこのお告げを聞いてすぐさま出陣。平家に加担していた管冠者を伊那郡大田切郷に襲った。管冠者は忠頼の急襲に驚き慌て、戦う前から館に火を放って自害した。その後、根上河原に陣を張った武田信義、一條忠頼らは諏訪大明神の神罰によるものであると、諏訪上宮に平出郷・宮所郷の二郷を、下宮には龍市郷一郷のみをそれぞれ寄進した。しかし、その目録を書いた者は、下宮分として誤ってさらに岡仁谷郷を書き加えてしまった。しかし、この郷名は誰も知らず、書き間違いを再三にわたって改めさせたが、なぜかその者は下宮分として「龍市郷、岡仁谷郷」の両郷を書いてしまう。そのため信義・忠頼らはやむなくその旨のままにしたが、古老に事の次第を尋ねたところ、「岡仁谷という郷は存在する」という。信義・忠頼は得たりと手を打った。これは諏訪上下宮は優劣の差はないという深慮であると。信義・忠頼の信仰心はますます強くなり、両宮に礼拝して帰途に着いた。


 ここに登場した武田信義は甲斐武田家の祖とも言うべき人物で、甲斐源氏の棟梁である。一條忠頼はその長男。ともに武勇にあふれた人物で、のちに頼朝の御家人として活躍するが、甲斐源氏の勢力を恐れた頼朝によって一條忠頼は殺害され、信義は不信の人として遠ざけられてしまう。しかし子孫は甲斐、若狭、安芸の守護職となって大いに繁栄し、甲斐守護の家からは武田晴信(武田信玄)が生まれる。

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