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『吾妻鏡』

治承5(1180)年9月9日

 頼朝の使者として千葉介常胤に対面した安達盛長が千葉から帰参した。盛長は、
「それがしが千葉邸へ赴くと、常胤自ら門前に出迎え、客亭に案内されました。常胤は彼の座に座り、子息の千葉胤正、千葉胤頼がその傍らに座ってそれがしと対しました。それがしは武衛(頼朝)の御言葉をつぶさにお伝えいたしましたが、常胤は目をつぶって眠るが如くで、その後もしばらく無言でした。すると傍らに座っていた子息の胤正・胤頼が、『武衛は源家の跡を興し、狼戻をお鎮めなさろうとされている。その最初の召しに預かり、なんで直ちに参上すると即答されないのか。早々にお受けいたすとお答えすべきでござろう』と申しました。しかし、実は常胤も参上の心に異存はなく、亡き頭殿(頼朝の父・義朝)が殺害されて滅んだ源家を再興されようというお心に感涙のあまり言葉が出なかったとのことでした。

 このあと、酒宴があり、常胤は今武衛が居られるところは要害の地ではござらぬ。また、特に源家の旧跡というわけでもない。すみやかに源家由緒の相模国鎌倉にお出でなされるようにと申していました。常胤は一族郎党を相率いて、御迎えの為に参向致すとの申しておりました」と頼朝に報告した。


 いよいよ常胤率いる千葉一族始動です。しかし、千葉家の勢力は房総平氏惣領家・上総権介家のそれと比べるとおよそ六十分の一(『吾妻鏡』による)。本来は房総平氏の嫡流とはいえ、惣領家を継いでいなかった千葉家は、房総平氏の一有力支族という立場に過ぎませんでした。常胤が頼朝に加担した理由は父・義朝の郎党であったことの他に、平家一門の下総国司・藤原氏と敵対していたこともあるのかもしれません。

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