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箱根へ

 今日から箱根へ行きます。友人の別宅へお邪魔するのですが、最近は晴れが多いので、イイ富士山を期待できそうですね。

 箱根は温泉が楽しみですが、箱根周辺は源泉施設の一部がこないだの台風で壊されて、泉質が違う源泉からお湯が引かれているようですね。まぁ、温泉に入れれば何でもいいんですが。そして帰りに時間があれば、石橋山合戦場跡、小田原城などを見て回って、かまぼこ買って帰ろうかと計画していますが、時間的にかなり厳しそう。

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 治承4(1180)年9月17日

 武衛(頼朝)は上総介八郎広常の参陣を待たずに上総国を出立され、市川の下総国府へ向かわれた。千葉介常胤(63歳)も子息の胤正・師常・胤盛・胤信・胤通・胤頼、嫡孫の成胤を随えて下総国府に向かい、武衛と面会した。率いる兵は三百余騎であった。

 常胤はまず、千葉合戦で成胤が召し捕らえた千田判官代・藤原親政を曳き出して武衛の御見に入れ、次いで弁当を献じた。

 武衛は常胤を座の右に招かれ、「今後は司馬(常胤)を父と思うぞ」と仰せられた。このとき常胤は千葉から伴ってきた若者一人を呼び、「彼が本日の贈り物です。」と申し上げた。彼は、平治の乱で源義朝(頼朝父)に随って戦死した陸奥六郎義隆の子息で、毛利冠者頼隆という若者だった。陸奥六郎義隆は頼朝の高祖父で武神と崇められる八幡太郎源義家の六男である。頼隆は紺村濃の鎧直垂を着し、常胤の傍にひざまづいた。

 武衛は頼隆をしげしげと見られたが、その気品や態度はまさに源氏の末裔である。武衛は頼隆を常胤の上座に招かれた。頼隆の父・義隆は去る平治元(1159)年12月、平治の乱に敗れて関東に逃れる最中、比叡山南の天台山龍華を越える道で落ち武者狩りにあって討死した。このとき、頼隆は生まれてわずかに五十日あまりであった。平治の乱の戦後処理でこの幼い頼隆も連座の対象になり、平家は永暦元(1160)年2月、頼隆を千葉介常胤預けとし、下総国に配流した。


  常胤のもとには22歳になった若武者・源頼隆がいた。彼は世代的には頼朝の祖父・源為義の従弟ということになるのだが、34歳の頼朝よりも12歳も年下という世代と年齢の逆転が起きている人物である。源氏一門として頼朝から優遇されたが、同時に千葉一族ともずっと親密で、子孫は千葉氏に従っている。

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