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■秋風の手賀沼■

手賀沼スミエ 昨日のリベンジというわけではありませんが、早朝手賀沼に行ってきました。

 今朝の手賀沼は薄くモヤがかかり、朝日を浴びて金色に光っていました。風はなく、水面は凪。水鳥が泳ぐと波紋がま~るく広がっていって、なかなか風流です。モヤがかかった対岸は水墨画を髣髴とさせ、これまた風流です。
 
 最近、沼の南側を走るサイクリングロードとウオーキングロードができつつあります。まだ完成していませんが、真新しいアスファルトがすでに敷かれていて、十分に歩くことができます。「立ち入り禁止」看板が立っていますが、この辺の人はそんなことは関係なく、犬を連れて散歩している姿を良く見かけます。秋の爽やかな風で通沿いのススキの穂がさわさわと揺れ動く、真新しい道の散歩。いいものです。

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治承4(1180)年10月2日
 
 頼朝は、千葉介常胤・上総権介広常が架けた船筏橋を使って大井川(太日川。いまの江戸川のコト)、隅田川を渡って武蔵国についた。総勢はすでに三万騎に及んだ。豊島清元、葛西清重父子が真っ先に頼朝の陣に参上した。さらに、足立遠元も兼ねてより参陣すべしとの命を受けており、出迎えのために参向した。

 今日、頼朝の乳母・寒川尼(八田宗綱の息女で、下野国大掾の小山政光の妻)が、十四歳になる最愛の末子を連れて頼朝の陣を訪れた。頼朝は懐かしさのあまり御前に召して、これまでのいろいろな事を語り合った。そして、彼女は連れてきた末っ子を、傍近くに仕えさせて欲しいと望んだ。頼朝も喜んでこれを許し、みずから彼に烏帽子を授け、「小山七郎宗朝」と名乗らせた。


 いよいよ頼朝は江戸川と隅田川を渡って武蔵国に入った。豊島清元、葛西清重、足立遠元がさっそく味方についている。さらに、頼朝の乳母の寒川尼がわざわざ陣を訪れていることから、下野随一の大豪族だった彼女の夫・大掾(守、介に継ぐ高級官僚)小山朝光も味方についたことがわかる。まだまだ流動的ではあったが、安房・上総・下総・武蔵・下野の多くの人々は頼朝側につき始めた様子がわかる。

 寒川尼が連れてきた十四歳の末っ子は、頼朝が烏帽子親になって元服した。このとき頼朝から「朝」の一字をもらったようで、「小山七郎宗朝」と名乗っている。のちに「結城朝光」と名前を改めているが、彼は鎌倉幕府の重鎮になり、子孫も大いに栄えた。

 安土桃山時代、徳川家康の次男・秀康が結城家の養子に入って「結城秀康」と名乗り、結城家の社稷は秀康の子孫である越前松平家(福井藩)が継いでいくことになった。

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