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■カメラのフィルタ■

 今日、はじめてカメラ(松下のFZ20)の説明書を読みましだ。実はこのカメラを買ってから約一年、読んだことがありませんでした あらためて説明書を読むと、へぇ~こんなこともできたのか、あんなこともできるのか、と真新しい発見がありました。なんと、いわゆる一眼カメラと同じようにフィルタをつけて撮影することもできるようです。

光 調子に乗って、光を撮ると十時に光の線が写り込むフィルターをビックカメラに行って買ってみました。そして家に帰って、いざレンズにつけようとしてもつきません。変だなぁ~、、、何でだろう? きっと何か部品がいるのだろうと納得し、セロテープでフィルタとカメラを合体させ、使ってみました。

 変なふうに写りました。

 やっぱり、何か特殊な道具が要るんだろう、と一人納得していたとき、フィルタのねじ山がこっち側にあることを発見。

 ・・・? どうやら反対向きだったようです。それはつきませんね。セロテープをはがし、逆向きにつけたところ、がっちりフィット フィルタ代4000円は無駄にならずにすみました。今度どこかの夜景を撮るときにさっそく使ってみるとしますか!

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 治承4(1180)年10月14日

 甲斐源氏一党は、神野、春田路を通って、鉢田に進軍した。このとき、平家党の駿河目代・橘遠茂は多くの軍勢を率いて甲斐国に向けて出陣していたが、鉢田で待ち構えていた甲斐源氏と鉢合わせになった。ここは山に囲まれ、道も良くないため、駿河目代勢は前にも後に進むことができなくなってしまった。
 
 このとき、武田信義の五男・伊沢五郎信光は、加藤景廉らを従えて戦陣をきって駿河目代勢に襲い掛かった。目代・橘遠茂は防戦したが、力およばず、ついに長田忠致入道と子息二人が討ち取られ、遠茂は捕らえられた。目代勢の死者、負傷者は数知れず、ほかは散り散りに逃げ去った。

 夕方、遠茂を斬首し、彼の首を富士野の伊提のあたりにさらした。


 治承4(1180)年10月15日

 頼朝は本日、はじめて鎌倉の屋敷に入った。この屋敷は大庭景義が奉行として修理していたものである。

 14日、駿河の平家党大将・橘遠茂と甲斐源氏の武田氏らが激突した。不意をつかれた目代側が崩れ、主君だった源義朝(頼朝の父)をだまし討ちにした長田忠致とその子二人が討たれたという。遠茂自身も捕らえられてすぐに打ち首にされてしまった。

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