FC2ブログ

■おまつり

お祭り 近所でお祭りがありました。神社のお祭りです。小ぢんまりとした神社ですが、鎮守の杜の木々がトンネルをつくり、いかにも古そうな石畳の参道、古めかしい拝殿で、ちょっといわくありげな感じです。

 参道は幅三メートル弱。そんなところに、氏子さんたちがお店を出しています。裸電球が参道の上にずっと続き、昔の盆踊りを彷彿とさせるイメージでした。地元の子どもやおじさんおばさんがコミュニケーションをはかる場となっているので、ここに引っ越してきたワタシにはちょっと馴染みにくい感じです。

 …盆踊りといえば、かつては盆踊りではみんなお面をつけて踊っていたのだといいます。そして、本来はお面をかぶって踊る人には、たとえそれが知っている人だと分かっても決して声をかけてはいけない、という暗黙のルールがあったようです。その人がお盆で此岸に帰ってきている人の事もあるから。


治承4(1180)年10月20日

 頼朝は駿河国賀島に進軍した。対して、平家方は左近衛少将平維盛、薩摩守平忠度、三河守平知度は富士川の西岸に陣を敷いた。そして、夜半になって、武田太郎信義は平家の陣を背後から襲うため、密かに兵を動かした。するとそのとき、富士沼に集まっていた水鳥たちがその気配に驚き、一斉に飛び立った。その羽音はあたかも軍勢が攻めてきたような響きであり、これに平家陣は慌てふためいた。
 
 この状態を見た平家軍次将・伊藤上総介忠清が維盛らと相談し、東国の兵たちはことごとく頼朝に属して平家に反旗を翻している。このままでは囲まれて帰洛することも難しくなる。急ぎ軍を引き上げ、謀略をめぐらすべきことを述べた。これに維盛らは同調し、明け方を待たずに兵を引いた。

 このとき、頼朝に属していた勇将・飯田五郎家義とその子・飯田太郎らは富士川を渡り、平家の軍勢を追った。このとき、平家方の伊藤武者次郎が返して飯田家義の手勢と交戦し、飯田太郎が討たれた。しかし家義がその伊藤次郎を討ち取った。また、平家方に属していた印東次郎常義(上総権介)も鮫島で討たれた。


 有名なくだり。夜に羽ばたいた羽音に驚いて平家は壊走したといわれているが、これを見る限りでは浮き足立つ我が手勢を見た副将の上総介忠清が、主将の維盛、忠度、知度らと協議して、このままでは不利だという理由で引き上げたことになっている。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

もっきー

Author:もっきー
千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

リンク
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
月別アーカイブ
カテゴリー