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■風邪

 風邪をひきました。

 季節の変わり目に髪の毛を切ったのがいけなかったのか、鼻水がとまりません。まさに滝です。

 もう頭がぼーっとして何もできず、今日は早めに寝ることにします。そういえば、ハムスターは風邪をひかないのでしょうか? ウチのハムスターは風邪っぽい鼻水を出しているシーンがありません。

 治承4(1180)年10月23日

 頼朝は相模国府に到着し、ここではじめてこれまでの論功行賞を行った。北条四郎時政、武田太郎信義、安田三郎義定、千葉介常胤、三浦次郎義澄、上総権介広常、和田小太郎義盛、土肥次郎実平、安達藤九郎盛長、土屋三郎宗遠、岡崎四郎義実、狩野五郎親光、佐々木太郎定綱、佐々木次郎経高、佐々木三郎盛綱、佐々木四郎高綱、工藤庄司景光、天野藤内遠景、大庭平太景義、宇佐美三郎祐茂、市川別当行房、加藤景員入道、宇佐美平次実政、大見平次家秀、飯田五郎家義らが恩賞を受け、本領安堵や新恩に与った。また、三浦次郎義澄を三浦介とした。下河辺行平は元のとおり下総国下河辺庄司とした。
 10月18日の合戦で敗れて山野を彷徨っていた大庭三郎景親が本日、降伏してきた。石橋山の戦いで頼朝を徹底的に追討した平家党の大将である。頼朝は上総権介広常に召し預けとした。また、景親とともに降伏してきた長尾新五郎為家、長尾新六定景、河村三郎義秀、山内三郎経俊らはそれぞれ諸士への召し預けとされた。
 長尾新五郎為家は岡崎四郎義実に、その弟・長尾新六定景は三浦介義澄へ、河村三郎義秀は所領の相模国河村郷を召し上げられ、大庭平太景義(景親の実兄)へ、山内三郎経俊は相模国山内庄を召し上げられ、土肥次郎実平へそれぞれ召し預けとされた。そのほか、石橋山の戦いで頼朝に敵対した人物がいく人かいたが、処刑に及ぶ人物は十人に一人ほどであった。


 石橋山の戦いで頼朝を追いつめた大庭三郎景親が今日、降伏してきた。去る10月18日、景親が一千騎を率いて平維盛と合流しようとしたものの、頼朝の大軍に阻まれて山中に逃亡していたのだ。五日間の逃亡のすえ、ついに頼朝の陣に出頭してきた。
 景親の父・大庭庄司景宗は頼朝の父・義朝と大庭御厨をめぐって争い、ついに敗れて降伏し、その子の景義、景親兄弟は義朝の有力な郎党として保元の乱を戦い抜いた経歴を持つ、頼朝とも因縁浅からぬ間柄の人物である。しかし義朝亡き後、源氏に見切りをつけた景親は平家に接近してその与党となり、頼朝を追いつめたのだった。

テーマ : 最近のできごと
ジャンル : 日記

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