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■更新日記

カキ 秋の風物詩・柿が庭にどっさり、食いきる前に悪くなってしまいそうなほど実りました。富有柿なので中にゴマはないのですが、甘柿です。

 柿といえば、仕事柄、毎日顧客に送るものがあり、そのたびに送り状を書いていますが、どこへ送るにもほぼ同じような文面なので使い回ししていたのですが、その文面で「下記までお返事を」というような箇所が数か所、「柿」になっていたのです! それを知らずに、フォーマットを作ってから数日間、あちこちに送り続けていました。いまのところ苦情はありません。


■千葉一族更新日記■

★武石氏の涌谷伊達家に大幅加筆(奥州千葉氏に独立項目)。
★武石氏の佐沼亘理家を大幅加筆修正(奥州千葉氏に独立項目)。
★遠藤氏の遠藤胤統、遠藤胤城に加筆。
★千葉氏の一族に僧侶になった千葉氏(日蓮宗)を追加。

 今回はこの四点の更新をしています。

 奥州に移った千葉氏の代表的な氏族に亘理氏がいます。千葉介常胤の三男・武石三郎胤盛を祖とする氏族で、室町時代に伊達家に従いました。江戸時代には「伊達」の名字を与えられ、涌谷(宮城県遠田郡涌谷町)に一万余石を領する涌谷伊達家として代々続きました。
 当主は代々「安芸」を通称とし、仙台藩お家騒動の伊達安芸宗重が有名です。領内には千葉氏所縁の妙見神を祀り、家紋は「月に八曜」紋を伝えていました。
 しかし、涌谷伊達家は「亘理」の名跡を継いだ家ではないため、亘理家の名跡は別に家がたてられて継承されました。今回は全体的な見直しと、写真の追加、義基、邦隆、胤元などに詳細を記載しました。

 その亘理家の名跡を継いだ家が、登米市佐沼に館を与えられた佐沼亘理家です。初代は亘理宗根といいます。彼の父は伊達政宗の重臣・茂庭綱元、母は高田氏(元伊達政宗の側室)。しかし実父は伊達政宗と伝えられています。佐沼領主として代々続き、幕末にいたりました。今回は定根から邦畿にいたるまでの歴代に詳細を記載しました。

 遠藤氏については、千葉介常胤の六男・東六郎大夫胤頼を遠祖とする一族で、美濃郡上藩主ついで近江三上藩主となった家です。遠藤胤統、胤城は幕府に認められ、胤統は大坂城将として大塩平八郎の乱を平定、胤城は幕府首将のひとりとして長州征討戦に参加しました。明治時代に「東」に名字を改めました。今回の更新では胤統、胤城について加筆しています。
 
 日蓮宗僧侶になった千葉氏出身の僧侶として、中山法華経寺(当時は法華寺・本妙寺)の日祐以下を追加しました。


               ※※※※※
治承4(1180)年11月6日

 上総権介広常は、佐竹秀義が逃げ去ったあとの金砂城に入り、城壁を焼き払った。そののち、頼朝は兵を各地の道々に配置した。これは逃亡した佐竹秀義を捜し捕らえるためだったが、秀義は逃れて陸奥国の花園城へ入ったという。

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姉歯問題証人喚問に臨んで

珍しい苗字だと思って調べたら、同じような事を考えて調べていた人が居た(参照1、参照2)で、皆さん指摘の通り、宮城県界隈の地名なのだが…(以下、片っ端から引用)【姉歯横丁】荒町から愛宕橋に向かって下がって行く通りを姉歯横丁と呼んでいる。昔は土樋止まりの横

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姉歯さんの苗字の由来を調べており、たどり着きました。
参考にさせていただきました。
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千葉一族、Mr.Childrenをコヨナク愛する千葉県人

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